アフガニスタン記事(文化時報10月28日付)
貴いご支縁を感謝申し上げます。以下,記事や報道です。

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サンテレビ10月3日ボランティア報告


アフガニスタン・クナール第1次ボランティア(9月7日~9月12日)





モロッコ,ガーナ,バヌアツにしても土地倫理は高度な問題です。孤児の家を建設するにあたり,なかなか土地の提供者がみつかりません。たとえ大統領,王,地域の首長であっても先祖伝来の土地を簡単に入手することは不可能に近いことを経験してきました。
クナールでは孤児の家のため,土地を提供すると言われた時には,腰を抜かさんばかりに驚きました。中村哲さんの存在がどれほど大きいか,ただただ感謝しました。https://www.facebook.com/yoshio.iwamura.3/posts/24332068596474586?ref=embed_post

≪報告≫ 岩村義雄は帰国後,入院のため,途中まで。
「荒れ地にサフランの花が咲く」(アフガニスタン国第1次地震発災クナール訪問 )
2025年10月3日
兵庫県庁記者クラブ
「カヨ子基金」創立者 岩村 義雄
主題聖句: 詩編 10編14節 「あなたは苦しみと悩みを御覧になり 御手によって救おうと顧みてくださる。不幸な人はあなたに身を委ね あなたはみなしごの助け手となられた」(『聖書協会共同訳』 2018年版)。
<序>
縮み,失われつつあるキリスト教会。戦後,近くから遠くから日曜礼拝に押しかけた群衆は過去のものになりました。戦勝国であるアメリカ人宣教師からもたらされた明るく,華やかな,社交的なあいさつの声は過ぎ去りました。グリンプス (面影)はありません。「ないもの」の空だけの世界です。伝道し,日本人の魂を救うという宣教師の言葉もむなしく響きます。過去のキリシタンの南蛮寺が残っていないように日本列島から教会は消えつつあります。現在,最果ての能登半島の最北端に位置する珠洲市には,尖塔に十字架をいただく無人の館があります。人はだれも寄りついていません。2024年1月1日の津波もろとも讃美歌,礼拝,子どもたちの笑い声は遠くの波間に運ばれてしまいました。19回目の能登ボランティアは10人で300食の炊き出しでキリコ祭第2回目炊き出しに仕えました。
珠洲市と同じように,教会,礼拝堂のない国にアフガニスタンがあります。その国で,日本時間2025年9月1日未明,地震が発生しました。世界で最も入国が難しい国ランクで一位です。これまでの北朝鮮へ単独訪問,シリア,ウクライナなどと異なり,震源地にたどり着ける綿密なスケジュールを立てることはできませんでした。
正式な招待状もありません。ただ良心の声に従っただけです。「主があなたの傍らにおられ 罠から足を守ってくださる」(箴言 3:26),という目に見えない御手への信頼のみでした。
中村 哲医師[てつ1946-2019]はアフガニスタンで「カカ・ムラト(کاکا مراد≪ナカムラのおじさん≫の意)」と慕われました。6年前銃弾で命を落としました[1]。当初医師として,全身全霊をこめてアフガニスタンの干ばつの大地のクナール川を用水路に変えました。神戸国際支縁機構の発足時2001年に大きな影響を与えた恩人です。荒野を拓くように,35年かけて仕えました。中村の生涯が不可能を可能にしたのです。
本日は,メディアの皆さまに教会,寺,病院を「出て」民のために時間,体力,もてるものすべてをつぎこんだ中村医師の証し,困難,壁について,アフガニスタンで見聞きしたものをお分かちしたいと思います。


目 次
(1) 「地獄は一定すみかぞかし」
a. どの民とも分け隔てなく 3
b. 寺,教会,祈りから出る 4
c. 良心的兵役拒否 6
(2) 山田堰 7
a. 「100の診療所より,1本の用水路を」 7
b. 権力者ではなく,農民がつくった 9
c. 荒野にサフランの花が咲く 10
(3) アフガニスタンの壁
a. 女性の権利 13
b. クナールでタリバン高官との出会い 14
c.超教派ゆえにどんな宗教信条をも受容 16

□ 脚注で援用しているSHIEN『支縁』No.~は神戸国際支縁機構のホームページに掲載。
□ 同様に,拙論「……」は,神戸国際キリスト教会のホームページの「牧師の拙論」(1) ~(12) に掲載。
不明は,携帯 070-5045-7127まで。

(1) 「地獄は一定すみかぞかし」
a. どの民とも分け隔てなく
神戸に住む者にとり,国際的な交友が生じます。英国人,ユダヤ人,ドイツ人などのコミュニティが他都市と比較して多い地域だからです。戦前からインド人も多いです。神戸倶楽部[2]は阪神在住の外国人が明治期の初期から集う場でした。神戸国際支縁機構の理事の英国人マイケル・シャクルトンさんは倶楽部会員です。集いに何回か同行しました。そこで知り合ったインド人コミュニティとのかかわりが続いています。隣人であられるヒンドゥー教徒の方たちにイエスの福音を分かち合う目的でインド人の会合に出席するでのではありません。神戸在住のインド人とよく語り合い,知り,愛する機会を設けてきました。生涯の良き友として触れ合うためです。キリストの受難,十字架,復活を証しするためにイエスの大命令[3]をヒンドゥー教の信奉者で構成されているメンバーに伝える義務感で行動しているのではありません。もし楽しいお茶のひとときに,マタイの福音書にある「すべての民を弟子にしなさい」,というキリスト教のもつ宣教命令の使命感に燃えて,証しするならどうなるでしょうか。証しが反証になります。
ヒンドゥー教からキリスト教の宗教団体に改宗するように迫られているというプレッシャーになります。聖書の文脈を読むならば,「回心」は,自分中心の生き方から,神中心の生き方へ転ずることです[4]。ニムロド[5]の時代から人間は「国家」[6]に従うように,また「富」[7]の奴隷になるように従属してきました。国家,富の奴隷であった闇から解放[8]されました。
神戸は,明治初期から日本で最初の讃美歌[9]が歌われてきた地です。「六合雑誌」というキリスト教の出版物も日本最初であり,日本基督教団神戸教会に現在も保存されています。
日本古来の伝統宗教,ユダヤ教コミュニティや,イスラーム教からイエス中心のコミュニティに改宗させるのが福音でしょうか。自己,貨幣,国家中心的な価値観から神中心の思考に徹底的に刷新されることが回心の真意でした。
神は日本人,ユダヤ人,インド人の選ばれた民だけの神ではありません。神はすべての諸国民の上に立たれる普遍的な神であられます。
「その日には,エジプトの地の中心に,主のために祭壇が建てられ,その地の境には,主のために石の柱が立てられる。それは,エジプトの地における万軍の主のしるしとなり,証しとなる。彼らが,抑圧する者たちのゆえに主に叫ぶと,主は救う者,守る者を彼らに送り,救い出される。主はエジプト人にご自分を知らしめ,その日,エジプト人は主を知るようになる。彼らはいけにえと供え物をもって仕え,主に誓いを立て,これを果たす」(イザヤ 19:19-21)。
神が多くの民の中から一つの民だけ,つまり選民を選ばれる神とするのは適切でしょうか。
瀬戸際に立たされている世界の紛争,確執,殺りくはキリスト教に無関係と断言できるでしょうか。契約の神が語られる旧約の他の部分も読んでみましょう。
「イスラエルの子らよ。私にとってあなたがたはクシュの人々と変わりがないではないか――主の仰せ。私はイスラエルをエジプトの地からペリシテ人をカフトルからアラム人をキルから導き上ったではないか」(アモス 9:7)。
b. 寺,教会,祈りから出る
仏教系の新聞は昨年の能登地震の直後に報じました。“「真宗王国」として知られる石川県内には多くの寺院があり、信仰心のあつい真宗門徒が大勢暮らしている。最大震度7を観測した1日の能登半島地震を受け、普段は真宗大谷派を担当している記者が被災地に入ると、人々は想像以上の深刻な被害に苦しんでいた。[10]” 神戸国際支縁機構の理事である浄土真宗大谷派の五百井正浩住職や宮城県石巻市に10回以上同行された藤丸秀浄(法専寺)住職からの報告に傾聴します。倒壊,本堂崩壊,庫裡壊滅[11]の実態を理事会で聞くに及んで宗派に関係なく心痛めました。1.1大震災の地震,津波,および2024年9月21日の水害で犠牲になられた聖職者のところへ定期的に足を運んでいます。
エジプトで民がうめいていた時,モーセは神に遣わされました。念仏三昧により,菩薩になる信心は崇高です。されど,寺を出て,病める民に寄り添う働きに従事した行基[12][668-749]の歩みは中学校時代,ボーイスカウトの活動で模範として学びました。行基たちは,教理,布教,しゃべくりではなく,うめく民,自然災害に仕えました。『行基年譜』[13](泉高父宿禰 1175年)には,731年に昆陽寺 (伊丹市)などを造りました。当時,誰も見たこともなければ,手がけたことのない灌漑でした。民の生きていく上での「水」をもたらしました。「一隅を照らす」働きでした。翌年,大阪南河内の狭山池が水害を起こさないように改修。京都,滋賀方面にも池,橋,道を造りました。『行基年譜』には,約30年間で,大橋六,直道一,池十五,溝六,樋三,堀四,船着き場二などと記録されています[14]。まさに利他行でした。
寺を出た行基たちは,飢饉,貧困,災害の地獄に赴きました。
日本人の精神の拠り所になってきた最大は親鸞[1173-1262 90歳]が開いた浄土真宗です。最大の信徒数を擁してきました。戦前の大東亜共栄圏,八紘一宇,天皇国体論により日本人に最も大きな影響を与えたのは,神社神道ではありません。浄土真宗です[15]。戦後はかつての国威発揚の二の舞を踏まないために教学[16]を徹底してきました。
親鸞は,『歎異抄』第二条[17]で「地獄は一定すみかぞかし」と説きました。
「たとひ法然聖人にすかされまいらせて,念仏して地獄におちたりとも,さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは,自余の行もはげみて仏になるべかりける身が,念仏をもうして地獄にもおちてそうらわばこそ,すかされたてまつりという後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば,とても地獄は一定すみかぞかし。」
法然[1133-1212 79歳]の弟子である親鸞は「ただ念仏」を唱えても地獄に墜ちるのなら「騙された」という後悔も残るではありませんか,と自問します。ちょうど,旧約時代の預言者エレミヤが「主よ,あなたが惑わしたので 私は惑わされました」(エレミヤ 20:7)と,吐露することに通じるのでしょうか。そこで親鸞は,いかなる難行苦行もわが身の煩悩から解放しないなら,「地獄」こそが私に定められた住処なのだと言い切るのです。
どのような仏道修行も完成させることができない煩悩のわが身でありますから,地獄こそが,私に定められた住処なのだ,と親鸞は語りました。教会を出て被災地などに出かけた私たちの働きを『中外日報』,『文化時報』紙もとりあげてくださったのは上人の精神でしょう。
筆者は,コスモス化に染まった組織からニッチ[18]「現代社会の凹地(くぼみ)」を求めました。いわゆる地獄です。ニッチこそ「低きに下って御覧になる方」(詩編 113:6)の存在があります。ほのかな光への希求でした。煌びやかなエクスーシア,権力志向の渦潮,名声の最前線から離れました。「低き」トポスが自分の生き様の波長に合いました。東京の山谷,大阪の釜ヶ崎,神戸の新川の貧民窟のくぼいたたずまいこそ深呼吸しやすかったのです。
b. 9・11テロを契機に底点志向に
ボランティアを継続するために,持っていたピアノ,池田静山を師にして練習した尺八,金
製品も換金しました。「施しをするときは,右の手のしていることを左の手に知らせてはならない」
(マタイ 6:3)とありますから自慢することでもありません。ボランティア道[19]は無休,無給を2001年
以降,貫いています[20]。ちょうど中村が「100の診療所より,1本の用水路を」を発信された直後
に符合します。
中村のしている河川への挑戦はとうてい真似ができません。
神戸国際支縁機構が法人格として歩み出した際,理事のおひとりとして加わってくださった
白方誠彌[21][1930-]さん(94歳)がおられます。中村は九州大学医学部の後輩になります。また2020年,九州の球磨川(熊本豪雨)ボランティアから家族のようにご指導いただいている九医出身の緒方俊一郎医師は故中村の生まれ変わりのように機構を親心で導いてくださっています。不思議な縁です。奇しくも3人はキリスト者として,社会の矛盾,不公正,汚職に一家言であるところが共通しています。
緒方は中村の在学中の活動を知っているひとりです。在学中は中村が反戦活動,水俣病問題,差別に対してデモに加わったりしていたことを証しされます。
地道なタコ(他己)[22]の歩みをしている私たちはもはやキリスト教の伝道もしなくなり,礼拝出席者数,受洗者数の拡大にも関心を示さなくなりました。異端のキリスト教になったのでしょうか。面と向かってはありませんけれど,影で揶揄されていることも耳にします。古今東西,中傷はつきものです。一方,被災地でキリストと出会い,キリストと共に歩み出した若者たちが産み出されています。
被災地で炊き出し,倒壊家屋の復旧,ドロ出し,がれき処理,使えなくなった家具などを搬出だけがボランティアではありません。日本初の日本地図である「行基図」をつくった行基は,復興だけでなく,民の心の復旧として,「布施屋」(簡易宿泊所)(『行基年譜』32頁)を造ったりもしました。一方,自分たちの拠点である寺は小規模な瓦を葺いただけの建物にすぎませんでした。
パウロは言いました。「労苦と骨折りを覚えているはずです。私たちは誰にも負担をかけまいとして,夜も昼も働き」,と底点志向です(Ⅰテサロニケ 2:9)[23]。
パウロは奴隷身分から脱皮し,役職,ポジション,社会的地位を得てから,制度を変えようとはしませんでした。自由人になることより,徹底して奴隷の側にとどまって,解放の神学といいますか,神学を解放したのです。上からではなく,下からの解放です。
物乞いすらできない見捨てられた「小さくされた人々」を放置する構造悪,抑圧,支配層の優位性に同意したのでもありません。キリストは,疎外階層,世,制度宗教からも排除され,怒り,苦しみ,くやしさを蓄える涙の革袋が張り裂けんばかりのオクロス(民)と共苦しました。
c. 良心的兵役拒否
ピエール・セレゾール[24]Pierre Ceresole [1879-1945]は,1879年スイス生。第一次世界大戦 WWⅠ[1914-1918]と第二次世界大戦WWII [1939-1945]の戦禍にあって,平和を探求しました。
第一次大戦勃発前時は,ピエールはスイスのスルザー Sulzer社のエンジニアでした。来日し,神戸の外人居留地で勤務(1913年3月-1914年7月)していました。戦争のため,スイスに帰国し,機械工として勤務しました。兵役は身体虚弱のため不合格でした。1915年,スイスで初めて兵役拒否をした学校教員の報を耳にします。ピエールは全身に電気が走ったかのように,「非戦」に覚醒しました。1918年8月,平和を訴えるためにドイツの国境を越えようと試みた際,投獄されます。会社を辞めざるを得ません。1919年,ブレザレン[25]派のクエーカー(Quaker)教徒の「友和会 the Fellowship of Reconciliation」と行動を共にするようになりました。語学が堪能であったこともあり,やがて「友和会」の国際部書記長に就任しました。ピエールは,「『良心的兵役拒否者』を国家が罰するのではなく,彼らを代替労働としての『国際ワークキャンプ』に従事させよ」と,国に提言しました。一般の人々には,「良心的軍事税支払い拒否」を呼びかけました。1920年11月,世界で最初の国際キャンプをヴェルダン近くで開きます。その地はフランス軍36万人,ドイツ軍33万5千人の死傷者の激戦地でした。
ピエールは,言葉や話し合いの中からでは本当に強い建設的な平和,和解,相互理解は生まれないと確信しました。共に働き,汗を流すことによって真の結束,行動力,目的が実現すると国際キャンプの価値を啓蒙しました。つまり徴兵,軍役,戦場より代替労働である国際キャンプこそピエールの強い意思でした。そのために単身,1932年11月,アドルフ・ヒトラー[1889-1945]に会うため出かけます。一種の狂気じみた無軌道,発想,行動でした。投獄,釈放など繰り返しに遭遇し,実現に至りませんでした。しかし,思いがけない副産物がありました。1934年10月23日,同じ枢軸国であるイタリアのムッソリーニ[26][1883-1945]と面談できたこと,インドのマハトマ・ガンディー[1869-1948]とひざを交えて話ができたことでした[27]。ヒットラーに伝えたかった青写真があったればこそ,時代の寵児として意見を言いかわすことができたと筆者は想起します。
世界で一番古い非戦論[28]を体系的に述べたのは中国の[29]墨子[紀元前450-390頃?]です。墨子は上・中・下に分けて『非攻』篇を書いています。「非攻」とは侵略戦争に対して否定,防止をする行為です。墨子は自ら「賤民」の出であることを広言し,各地を転々と仕事を求めながら移動する工人の群れの指導者でした。「一人を殺さば,これを不義と謂い,必ず一死罪あり。…いま大いに不義をなし国を攻むるに至りては,すなわち非とするを知らず,従いてこれを誉めてこれを義と謂う」[30]。18世紀まで,墨子の思想は黙殺されていました。
オランダ商館などで学んだ青森県八戸の医者安藤昌益[1703-1762]は墨子と著しく共通した平和観をもっていたにもかかわらず,記していません。昌益の耳に墨子の非戦論は届かなかったようです。昌益は中国王朝の興亡史だけでなく,「記紀」(古事記,日本書紀の総称)を研究し,『自然真栄道』を著します。書の中で,「治」(=構造的・間接的暴力)と「乱」(=人的・直接的暴力)による他国への侵略,略奪,盗乱について戒めています。「金銀の通用を爲すが故に,賣買利慾の法盛んにして,天下の利慾大いに募り,漢土(中国)より天竺(インド),阿蘭陀,日本を奪はんとし,日本より朝鮮を犯し,臺灣を取る。金銀通用賣買の法を立て,自由足り,侈りを爲し易し。侈りは亂の根なり」[31],と「乱の根」を分析しています。諸外国への侵略戦争について軍事,経済両面の野望から発生するとクリティックしているのです。戦争の対極である「平和状態」の思想家が日本の江戸時代にいたことを筆者は反復します。昌益は,神功皇后の三韓征伐,豊臣秀吉の朝鮮半島侵犯,薩摩藩の琉球支配,松前藩のアイヌモシリ[人間の静かなる大地]侵略などを否定しています。『孫子』冒頭にある「兵は国の大事」を昌益は批判し,「兵は国の乱具なり」と述べられています。「兵は凶器なり。止むを得ずして之を用ふと云ふは,止むを得ずして盗業を爲すと言ふに同じ」[32],と語る先人がいたことを日本人は誇りに思うべきです。
墨子,昌益,ピエール,中村の「非攻」の非戦論こそ,見直すべき人類の指針です。良心者は,自分の国に対する反逆者でもなければ売国奴でもありません。為政者の政治形態を転覆し,奪取して,新たな政権をつくる目的を持ち合わせているのでもありません。一方,「世間虚仮」を説いた聖徳太子は世俗の営みを批判しました。しかし,政治の中枢に立ちました。非戦のための戦いは,体制に対してノンと言うアナキストではないと同時に,自分が現体制に取って代わる権力意志を持ち合わせているのでもありません。良心者は政治中枢で清濁併せ呑む器量を持ち合わせてはいないからです。
(2) 山田堰 [33]
a. 「100の診療所より,1本の用水路を」
2019年9月6日,松末の住人故樋口實[34][1940-2023]さん,梶原ミスミ[35]さん,梶原ミドリ[36]さんたちに神戸国際支縁機構の佐々木美和事務局長,筆者たちは「山田堰」に案内していただきました。山田堰がどんな仕組み,沿革,機能かについて水土里ネット山田堰の熊谷敏幸事務局長,田中真子さんからパネル,冊子などから説明を受けました。


日本から直線距離で西に約6,300㎞に位置するアフガニスタン。大地は戦乱や干ばつで荒れ果て砂漠が広がっています。中村哲医師はパキスタン国ペシャワール市にある医療組織ペシャワール会[37]の現地代表として,1984年からアフガニスタン貧民層の治療に専念しておられました。
2000年の大干ばつは凄まじく,多くの村落が短期間のうちに壊滅しました。餓死者が相次ぎ,多くの村が放棄されました。その日の食にも窮していました[38]。
大干ばつに襲われ人々が飢饉で亡くなりました。中村医師はアメリカ軍の砲撃により,農地が砂漠化するのを目の当たりにし,病気の背景には飲料水・食料不足があると考えました。しかし,事は順風満帆ではなく,試練の連続でした。中村の会報誌の記録から伝わります。
“この事態を予測しなかった粗雑な計画に思いを馳せ,目の前が真っ暗になった。所詮,素人だったのだ。工事完遂を夢見て連日突貫工事に忙しい職員たちを見ると,言葉に出す勇気が湧かず,まる一日呆然としていた。また,話したとて,いたずらに不安をかき立て,小田原評定を招くばかりだ。だが座して待つなら,確実に第一期工事は失敗する。総工費10億円は夢と潰え,数千町歩の田畑は再び砂漠化し,ペシャワール会も解散に追い込まれるだろう。一か八かでも,ここは積極的な手を打つべきだ。己の無知と非力さ加減はよく分かった。”
“国境では,自爆攻撃で錯乱した米兵が群集に乱射,18名の市民が死亡したとの報が伝えられていた。四方八方が敵に見えたらしい。人々の方でも怒りが爆発,直ちに1千名の反米デモが荒れた。雪解けと共に活発化する武装勢力に備え,欧米軍は4万数千名の兵力に膨れ上がっており,アフガニスタンの農村部が「危険地帯」なのだと言う。確かに,外国兵が居るところは危険だ。最近,彼らの横暴さが目に余るようになっている。先日,米軍の装甲車の車列からいきなりワインのビンが投げつけられ,フロントガラスが大破,私の運転手は頭部に重傷をおって死ぬところだった。最近,主婦がジャララバード近郊で,やはり酒ビンを投げつけられて死亡している。戦争は狂気を呼び,狂気が戦争を拡大する。”『ペシャワール会報91号』(2007年04月01日)。
当初から井戸掘り[39]に奔走し,しかし,井戸だけでは本質的な解決にいたりません。21世紀初頭, 2000年12月に,「100の診療所より,1本の用水路を」[40]を提言されました。なぜなら水不足,不衛生,無医村などの根本的解決には,「いのちの水」が欠かせないことを思い知らされたからです。2002年には「緑の大地計画」立案,2003年にアフガニスタン東部のアーベ・マルワリード用水路(以下マルワリード用水路)に着手しました。
クナール川は山岳からの河川です。流水量が多いのです。急流区間では,流れの「掃流力」が砂利,土砂を押し出してしまいます。つまり荒野に水を供給する「堰」を築く必要があります。そこで中村哲は日本の暴れ川を研究,視察,着想のため2000年に来日します。中村哲は医師であり,河川工事はまったくの素人でした。日本各地の堰を検討の結果,2000年9月福岡県朝倉市杷木にたどり着きました。1790年完成の山田堰に出会います。暴れ川の筑後川の堰がないところでは現在でも氾濫で被害をもたらしています。たとえば,杷木市松末(2017[平成29]年7月5日の豪雨 死者40名不明2名)は堰がなかったゆえ不幸の典型です。
日本は技術の進歩に過信し,堰ではなく,ダム建設を行っています。熊本県の五木村においても川辺川ダム建設へ政治家,官僚,国交省は一丸となって突き進んでいます。
中村は大旱魃をきっかけに「医療から水へ」と舵を切る大決断をしました。
b. 権力者ではなく,農民がつくった
2022年4月18日,地域の復旧,復興,再建に生前常々口になさっていた樋口 實さんは河川の氾濫を江戸時代の先人たちがどんな工夫をしたかを見せようとされました。コンクリートの砂防ダムでは解決できない直観力をお持ちでした。福岡県うきは市(朝倉市に隣接)の堰へ私たちを案内されました。
大石堰[41]でした。栗林次兵衛・本松平右衛門・山下助左衛門・重富平左衛門・猪山作之丞の五人の庄屋は,村々の貧困を救うために,筑後川の水をこの大石地区を水田化しようと決心し,堰を作りました。山田堰に先立つ1663年に着工しました。毎日500人の農民が従事した記録が残っています。残念なことに1953年の水難で破損しました。
国交省,ゼネコン,役所は,日本の世界に誇ることができる「堰」工法を無視して,水害後,2023年3月までの5年間,総額約597億円の税金をコンクリートの砂防ダムにつぎ込みました[42]。一方,中村はクナール堰「2003年-2009年]に総工費20億円[43]をかけて日本からの献金によって支えました。松末と言えば,5年にわたり巨費を投じたにもかかわらず,梅雨期だというのにゼネコンは松末の砂防ダム建設工事を3月末でさじを投げました。完了したのは全体の三分の一にすぎません。砂防ダムを乙石川の6基を含めて30基も作りました。土木技術工法,最新の重機,建設機械など最新の技術です。 寒水川の下流にあり,社殿などが押し流された文字社(梶原明彦宮司[44])は毎年上流の砂防穴あきダムによる激流によって,2017年以降,7月になると夜も眠れないと母親の征子さんはおっしゃいます。社殿,社務所,境内も荒廃したままで,補償もありません。
出来レース[45]の松末の住民説明会,当初言われていたことと何度も変えられてきた,と日隈繁夫事務局長は言われました。日隈氏は地域を考える背理できない人のおひとりでした。不正問題について,国交省や県河川課とのやりとりは不正に終始していました。都合の悪い事実は無視,都合のよい事象のねつ造数字で押し切りました。にもかかわらず2023年3月30日,国交省に感謝の記念会を松末地域コミュニティ協議会[46](T会長)は祝いました。あの美しかった段々畑の農地は帰ってきません。先人の山田堰という知恵があるにもかかわらず,協議会は国交省,ゼネコン,役所の言いなりでした。ダム建設によって,乙石川,寒水川,赤谷などは,過疎,高齢化,少子化は急速に促進しています。松末地域をはじめ日本の水害被災地域はアフガニスタンのジャララバード,クナールなどの民間の力を再考する時期です。アフガニスタンと日本の最大の相違は山です。岩ばかりのアフガニスタンと異なります。
日本は戦後高度成長期に植樹[47]したスギ,ヒノキがカナダなどからの輸入材に席巻されました。全国の山はモヤシ林の様相を呈しています。一見,緑で生い茂っているように見えても,まったく保水力[48]がない森です。適切に枝打ち,間伐などの保育を行わないと,林床(森の地面)に日光が届きません。風通しも悪い。「地に若草を芽生えさせる日の光」の下草が生えない
のです(Ⅱサムエル 23:4)[49]。緑のダムがなくなってしまいました。
天然のダムをなくし,コンクリートのダムを造るのは人間の愚かさと言えます。シカ食害の増大,里山[50]の喪失,食糧の海外依存という悪循環を生み出しました。 『ダムと伐(ばつ)』[51]に国交省が音頭を取るダム建設に一刻も早く日本人は覚醒すべきです。ダム反対[52]の最大の理由は自然環境の破壊,建設費の妥当性の疑義,水害に防止どころか放流などによる人命軽視です。
アフガニスタンより日本の方が自然生態は損なわれています。クナール川の河畔には,柳が植樹されました。私たちが訪問した時には,生い茂っていました。 親などをソ連軍,アメリカ軍に殺された孤児たちはテロリストにならなくても生きる道が開けました。やっと自分たちの故郷で地産地消を楽しみます。
c.荒野にサフランの花が咲く
中村がつくった「マルワリード用水路」は全長約25km,支線を含めると数百kmに及びます。約65万人が農業で生計を立てられるようになりました。砂漠や荒れ地だった土地が緑色に変貌しました。小麦,かつて果樹の輸出が盛んだったアフガニスタンで,果物,野菜が生き返りました。飢餓,貧困,紛争にピリオドが打たれました。パコールpakolと呼ばれる羊毛製の帽子をアフガニスタン人からいただきました。強烈な日差し,夜の凍てつく寒さにも防寒としても有用な帽子です。
9月1日の地震からおよそ一週間後に震源地のアフガニスタン国クナール州に立ちました。何もできませんでしたが,中村がなさったお働きの偉大さに圧倒されっぱなしでした。
中村は,2000年から本職の医療を人に委ねて,キリスト者でありながら,イスラーム教モスクやマドラサ(イスラーム神学校)も建設,灌漑に重点を置くようになりました。[53]荒れ地にサフランの花が咲くようになります。「ナルドやサフラン,菖蒲やシナモン あらゆる乳香の木々。没薬や沈香,あらゆるえりすぐりの香料」(雅 4:14)。アフガニスタンはかつて桃源郷[54]として観光に訪れる人々を魅了しました。
アフガニスタンの国土の8割は山岳地帯です。最高峰はパキスタンとの国境沿いにあるノシャック山(7,492m)です。クナール州のパンジシール渓谷などは「天然の要塞」と言われています。1979年末から1989年まで,アフガニスタンの小規模部隊(ムジャーヒディーン)は山岳の渓谷,洞窟や地下壕を活用し,奇襲,待ち伏せ作戦によって,ソ連軍を翻弄しました。ソ連軍,後にアメリカ軍にしても空港,都市,幹線道路を支配できても山岳地帯を制圧できませんでした。
アフガニスタンの高い山々の氷河から荒野に流れてくる奔流は人家,栽培耕作地,牧場を飲み干してしいました。そんなクナール川に,江戸時代の農夫たちが主体になってつくった山田堰(1818年)が出現しています。毎年の筑後川の氾濫で苦労してきた農家の知恵が具現化しています。川の勢いある堤防を打ち破り,地域を破壊してきたのです。暴れ川がすべてを破壊しないように,石を斜めに積み重ねて激流をやわらげる工法がクナール川で再現されています。おかげでクナール川流域の乾燥した荒地に広い用水路網をつくりました。安定した用水が一年中提供できる構造です。舟や水棲動物の通行を妨げません。
権力者が机の上で企画し,住民説明会,学者,経済人,首長との会議,潤沢な資金を下にメディアなどを通じて,科学技術の粋をこらしたと建造物と異なります。中村は官僚がつくったモノは砂上の楼閣とみなしました。
“教育を受けた人々,都市の知識層にこの風潮が強く,享楽的かつ退廃的な風潮が同時に首都カーブルに蔓延していることです。「教育,教育って言っていたが,何を教えるんだろう」と,つい考えてしまいます。”,“日本政府の政治的思惑で対日感情が悪化,事業に支障を来すとあっては,ふんだりけったりです。政治や権力というものが,ますます嫌になりました。”『ペシャワール会報82号』(2004年12月15日)。

中村が嘆息した思いを神戸国際支縁機構は日本の被災地で味わっています。虫けら[55]のような私たちは,阪神・淡路大震災,熊本・大分地震,能登半島地震の現場に急行しました。しかし,行政の復興計画を知るにつれ,辛酸をなめてきました。私たちの現場主義と「お上(かみ)」の施策は異なります。前者は痛み,苦しみ,怒り,くやしさの民に仕えようと努めます。後者は支配,権力,抑圧の構造で私たちを蹴散らし,砂煙をあげながらダンプカーで山肌をえぐりとり,自然生態を踏みにじります。幾百年にもわたって先祖がたいせつにしてきた景観,営み,息づかいを掻き消してしまいました。権力者は最新の機動性あるテクノロジー,装備,資金を用います。中村のように,自ら汗をかき,現場にはいつくばって,現地の人たちとスクラムを組むような働きをしません。ペシャワール会のスタッフたちの労苦があったからこそ緑の果樹園が実現したのです。

10分,否,30分と車でクナール河の山田堰を見ながら車で移動します。中村が血と汗と涙を流した痕跡が延々と続きます。とどめもなく涙があふれてきました。目をなきはらしていると,今から6年前にシェマルズ・
モスク建設で中村と8ヶ月共にしたザエッドハムさん
(37歳)と出会いました。向こうから声をかけてくださいました。「in sha Allah」,とお互いに会えたことで抱き合いました。
アフガニスタンの首都カブール(現地ではカーブル)から車で3時間東に向かうとクナール川です。インダス[56]川の支流です。クナール川は山岳地帯の急流です。土砂量も日本の筑後川と同様に多いです。中村は2003年に着手,2009年に主水路クナール川の堰のおかげで支線含め数百km,灌漑面積16,500ヘクタール,65万人が恩恵を受けるようになりました。「水路管理チーム」は工事に従事したアフガン人が担っています。中村は「人が管理できない技術は現地に根づかない」と口を酸っぱく語りました。あえて現地住民が扱える単純で頑丈な仕組みを採用しました。現在の乙石川の破損,修復,維持は専門家でないと対応できないのとでは大きな違いです。蛇籠[57]という石積みで護岸する着想も日本の古来からの農民の知恵です。コンクリートの三面壁,ダム,蛇行していた河川の自然を制御しません。自然とニンゲンが共存する先人の知恵を生かしたのです。『ペシャワール会報99号』(2004年5月27日)。
クナール川を半時間走っても堰はずっと続いており,圧巻です。
親などをソ連軍,アメリカ軍に殺された孤児たちはテロリストにならずにすみます。自分たちの故郷で地産地消を楽しみます。約半世紀ぶりです。




(3) アフガニスタンの壁
a. 女性の権利
タリバン政権の下,10歳以上の女子教育[58]を認めていません。女性や少女が学校や大学に通うことを禁じている[59]世界で唯一の国です。ユニセフによると,約85万人のアフガニスタンの少女が学校に通えなくなっています。 移動も許されていません。女性は目以外について全身すっぽりえと覆うプルカの着用を義務づけられています。9月,「カヨ子基金」の佐々木美和もいくつものタリバン軍の重装備の検問所をくぐりぬけました。写真は厳禁です。パスポートとヴィザを毎回入念に調べます。以前の渡航先,パキスタンや,イスラエル入国スタンプの有無を調べています。文字を読めない兵士もいて,尋問されても言葉が通じません。「こいつらシリア,モロッコ,ミャンマーにも行っとるぞ」,とおぼしき会話が伝わります。しかし,実際にはタリバン軍兵士は女性には決して居丈高ではなく,やさしいです。
アフガンで2021年1月17日,首都カーブルで,最高裁判所の女性判事2人が銃で撃たれて死亡しました[60]。同記事には,2020年12月には,エニカスTV・ラジオでジャーナリストとして働いていた女性ジャーナリストのマララ・マイワンドさんが,ジャララバードに仕事で出かける途中に銃撃されたことも報じていました。
元テレビ司会者のヤマ・シアワシュさんが2020年11月,首都カブールの自宅近くで,車に仕掛けられた爆弾で殺害されました。南部ラシュカル・ガーでも,ラジオ・リバティーのアリヤス・ダイー記者が自動車爆弾で殺されたことをBBCは続けて報道していました。
アフガニスタンで実権を握るイスラム主義勢力タリバンの暫定政権が,例外的に認められていた医療系教育機関への女性の通学を禁止したと地元メディアが伝えました[61]。
ユニセフ=国連児童基金のラッセル事務局長は女性の医療従事者の深刻な不足に直面と声明を発表。女性患者は女性の医師が診察することが求められている 医療系教育機関への女性の通学を禁止しました[62]。
アフガニスタン保健省は今月2日,医療機関の責任者らとの会合を開き,女性の医療系教育機関への通学を禁止するよう指示しました。理由は男女が同じ部屋で学んではならないなどがあげられます。これは古くから一部の保守的な人々が持つ伝統的な価値観の影響です。『コーラン』(正式な名称『聖クルアーン』)には,ムハンマドの妻アーイシャは出ていません。しかし,イスラーム教徒の間で権威ある『ハディース』[63](ムハンマドの言行録)には,イスラーム教の開祖ムハンマドの妻について詳述されています。「九歳の少女と一緒になった人」と出ています。補注には,“ウルワによると,アーイシャは六歳のとき預言者と結婚し,九歳のとき一緒になり,九年間共に過ごした”,と書かれています。
『ハディース』に書かれているからと言って,タリバンのように厳密に適用することは普遍的ではありません。たとえば,大宝律令を現代の日本に適用して政治を行なうことは想起できません。イスラーム教徒と会話すると,旧約のアブラハム、ヤコブ、ダビデ、そして特に多くの妻を持ったソロモン王についてよく話題になります。寡婦を救済するためとか,時代背景があったからであることを理解しています。たとえば,現代において,イスラーム教圏のチュニジアは一夫多妻を容認するイスラム法よりも近代法を導入して,一夫多妻を禁じています。
コーランに出ている4人[64]までの妻帯が認められる一夫多妻制とか,児童婚も,タリバン政権下では機械霊感説のように絶対の規準とするのは齟齬が生じます。アメリカなどの福音派が聖書の一言一句を絶対視する原理主義と似ています。『コーラン』が書かれた時代背景や聖書の最初の夫婦を一夫一婦制であったことをイスラーム教徒と対話すれば理解し合えます。「二人は一体となる」(創世記 2:24)という最初の祝福が与えられました。一夫多妻は、戦乱で多く存在したシングルマザーを救済するための制度にすぎませんでした。
柔和に,冷静に,論争してはいけません。「反対する者を柔和な心で教え導かねばなりません。もしかすると,神は彼らを悔い改めさせ,真理を認識させてくださるかもしれません」(Ⅱテモテ 2:25)。信頼関係の上で話せば決裂することは避けられるでしょう。「対話」において,信頼関係が前提です。

b. クナールでタリバン高官との出会い
孤児の家を作りたいという交渉は,いつも単純,直截,単刀直入でした。これまで被災地
などで,炊き出し,「田・山・湾の復活」の作業,孤児の家づくりの際も直接,復興本部がまだ
できていない段階で首長である県知事,市長などに飛び込みました。宮城県石巻市の亀山紘元市長,熊本県相良吉松啓一村長,北海道厚真市 近藤泰行副町長などとの出会いによって,思いがけない道が拓かれてきました。
前人未踏の場所にまるで連行されるかのように,先導する行政の車について行きます。川の橋を越えたかと思うと,また橋があります。鼠一匹たりとも橋は侵入できない構造です。一般のクナールの人は立ち入り厳禁です。ものものしい警備をいくつもくぐり抜けます。人里離れた広大な場所ですが,30分ほど沈黙が続きます。「どこへ」,「なぜ」,「無事に帰れるのか」など一切,知ることもできません。場の空気は言葉の中にあります[65]。言葉には含みがあります。未知の場所への通路であっても,「空気を読む」手がかりになります。筆者は海外でも,よく「オーラ」があると言われてきました。言葉ではなく,全身からほとばしるものです。自分では自覚していません。初対面の人の懐に入り込むことによって,関係性の突破口となってきました。特別な才能でもなんでもありません。微笑み,歩き方,声の色などは非言語コミュニケーション[66]です。異国だから,そのように言われるのかもしれませ。
クナール州のタリバン高官と面談場所に連れて行かれました。場所,目的,解放されるのかどうかも不明でした。
政治家というより,聖職者のような落ち着きと,円熟した人柄,穏やかなパシュトー語で迎え入れてくださいました。タリバンの高官らしく,白い伝統服(カミース・シャルワール)を着ておられました。通訳を通じて,「何しにクナールへ来たのか」など問われました。決して尋問ではないので,緊張がほぐれました。
隠れ基地に連行された理由についてもしばらくするとわかってきました。質問に対しても迅速に,丁寧にメモを見ないで返答してくださいました。死者は2250人,負傷者3600人,倒壊家屋6600戸でした。地震の被害の実態を世界に知らしめ,国際的な協力をおあぐ意図が窺われました。
「カヨ子基金」の孤児の家の建設の用地を提供してくださると言われました。現地記者も取材に来ていました。想像していたタリバンの抑圧はみじんも感じませんでした。笑みを浮かべた表情からは検問所でみる兵士たちとはまったく同じタリバンとは想像できません。


一瞥でタリバン高官がどうかわかります。黒いターバン,長い髭。後方にはタリバン政権の旗です。シャハーダの黒文字入りの白旗はタリバンの旗印だからです。
土地について売買,譲渡,使用許可を与える権限は局長以上の立場でなければ,裁量権はありません。
次回のアフガニスタン訪問までに,日本の志ある献金者によって建設基金,および教育費が集まることを祈るしかありません。
c.超教派ゆえにどんな宗教信条をも受容
聖書には,カルト,いわば異端として,交遊することすら禁じられていたグループがあります。
クナール川に堰を造ることはアフガニスタンの人々が生きていく上で生命線でした。現地ペシャワール会の方たちの努力,情熱,忍耐には圧倒されます。
2011年の東日本大震災後にどのように復旧するか,渡波の農林魚の地域の代表者たちに集まっていただきました。それまで交流がなかった林業,漁業,農業の組合長が顔を合わせました。筆者は一切口をはさみませんでした。名称を「石巻刷新組合」としました。
トップダウンで中央集権的にものごとを決めるのではなく,話し合うのです。鈴木健一さん[1932-2025.4.16](石巻森林組合代表理事組合長),阿部 勝さん(1940- 石巻市渡波地域農業復興組合代表),丹野一雄さん(1948- 宮城県漁業協同組合委員長)の方たちと地域の復興を考えました。地元に精通している人たちが中心になって未曾有の困難を乗り切るのが英邁と判断しました。物事の決定プロセスは上部から下部へという流れなら何も変革されません。危機には新しい流れが今までにない知恵を生み出します。神戸から東北の地へ通い,14年以上,定着し,土に取り組むことができたのは3人の励ましがあったからこそです。
アフガン農村がアメリカ軍の砲撃で一家離散しました。再び長年生まれ育った地に帰還した民の求心力は何かと中村は思案しました。上からの伝達,教育,統制ではありません。縁の下から支える地道な伝統だと確信しました。そこで,「寺小屋」に相当するものが一番「民」にとり有益と
[1] 拙論「あなたはいつ抑圧された人に寄り添うのをあきらめたのか」(神戸新聞会館聖書のことばシリーズ第86回 2021年8月30日 4-9頁)。
[2] 1869[明治2]年,西日本で最初の外国人クラブとして設立。2027年まで改築中のため使用中断。
[3] 「だから,あなたがたは行って,すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け,あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ 28:19,20)。「弟子としなさい」とイエスは言われたが,決して「信者をつくりなさい」とは言われなかった。
[4] 動詞メタノエオー meta,「変化」+now 「考える」=「視座を変更する」「否定の論理」(マルコ 1:15)。(新約に33回)。名詞形のメタノイア(同 22回)。「罪を悔い改める」というより,因習,伝統,常識という固定概念から180度転換 ヘブライ語シューブ 1075回。拙論「キリスト教と防災」(関西学院大学 2019年 4-5頁)。拙論「キリスト教の弔い―現代問われている死生観」(日本「祈りと救いとこころ」学会 2016年 7頁)。
[5] 拙論「宗教はコロナウイルス後の社会をどう目指すか―第1章―」(WCRP平和大学講座 2022年 7-9頁)。
[6] 「私の国はこの世のものではない」(ヨハネ 18:36)。
[7] 「あなたがたは,神と富とに仕えることはできない」(ルカ 16:13)。
[8] 「国家」,「富」の奴隷ではなく,「主によって解放された者であり,同様に,召された自由人はキリストの奴隷だからです」(Ⅰコリント 7:22)。
[9] 『神戸と聖書』(茂 洋 神戸新聞総合出版センター 2001年 102-103頁)。
[10] 『文化時報』(2024年1月12日付)。
[11] 拙論「第Ⅰ次能登半島地震ボランティア報告」(2024年1月6日 4頁)。
[12] 拙論「田・山・湾の復活」― 宗教倫理学会夏季一泊研修会 ―(関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス 2013年 7頁)。
菅原道真らによって797年に完成した『続日本紀』(しょくにほんぎ)には僧の道昭(どうしょう)[629-700]は宇治川に宇治橋を架けたと記されている。道昭は民衆の苦しみのために寺を出た。弟子行基の禹母親は蜂田古爾比売(はちたこにひめ)。
行基は師の道昭の死後,師から学んだ土木を民に役立てようと,僧の位を捨てた。国やだれからの支援も得ずに,橋,港,用水路を造った。
[13] 『行基年譜の研究 本文篇』(藤野道生 柏書房 1978年 59頁,26-27頁)。
[14] 〃 33-39頁。
[15] 拙論「宗教はコロナウイルス後の社会をどう目指すか―第2章―」(WCRP平和大学講座 2022年 7頁)。
[16] 文字社の台風被害にボランティアをなさった藤 玄洋(朝倉市西宗寺)住職から傾聴した。
[17] 『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』(木越(きごし)康 法蔵館 2016年 65-66頁)。
[18] ニッチ(niche)「隙間」を意味するイタリア語nichiaが語源。〈例〉 find a niche for oneself 自分の適所を見つける。『英和中辞典』( 同 1243頁)。“Webster’s 3rd New International Dictionary” Merriam Webster; Indexed, Unabridged,1993,p.1525。
[19] 拙論「キリスト教とボランティア道」―水平の<運動>から,垂直の<活動>に― (宗援連 東京大学 3-10頁)。
[20] 「盗みを働く者は,もう盗んではいけません。むしろ,労苦して自らの手で真面目に働き,必要としている人に分け与えることができるようになりなさい」(エフェソス 4:28)。語学教師として,働いてきました。そんな半世紀前の教え子2名が2025年9月13日の能登キリコ祭第2回目炊き出しのボランティアに参加してくれました。
[21] 拙論「キリスト教の弔い―現代問われている死生観」(日本「祈りと救いとこころ」学会 3頁)。
[22] 拙論「教会と地域福祉」フォーラム21 ボランティア・福祉・教会 キリスト新聞社,東京基督教大学共立基督教研究所共催 賀川記念館 2011年10月1日で筆者が語る。
[23] 『底点志向者』(深津文雄 かにた出版部 1999年 237頁)。深津は述べます。“上ばかり見て,そこから底辺をながめている
から,手が出ないのです。底辺ではなく,底点まで降りて,そこで具体的に出会った『たったひとり』から始めればそれでよ
いというのです。その順序を間違えて,手をこまねいたのが教会です。頂点志向のなかで,上から数で処理しようというのが
福祉です。”
[24] 『ボランティア学研究』17巻 (黒瀬聖子 国際ボランティア学会 2017年 89頁)。
[25] 神戸国際キリスト教会のホームページ参照。http://kicc.sub.jp
[26] ムッソリーニ イタリアの政治家,独裁者。
[27] 『スイスの良心 ピエール・セレゾール』(ダニエル・アネット 高良とみ訳 アポロン社 1981年 224-225頁)。
[28] 拙論「民主主義の限界」(関西学院大学法学部 2023年5月9日 8頁)。
拙論「キリスト教と非戦」(OCCカレッジ講義 エラスムス平和研究所 2015年 17-18頁)。
[29] 墨子をモデルにした『墨攻』(革離を主人公にした酒見賢一の歴史小説) 漫画,映画化された。
[30] 『墨子』(和田武司訳 徳間書店 1973年 91頁)。墨子は「非攻主義」により,戦争が本質的に殺人行為であることを論証し,戦争こそが最大の不義であることを力説(同書 20頁)。
[31] 『安藤昌益と自然営道』(渡辺大濤 勁草書房1970年 300頁)。
[32] 同 149頁。
[33] 堰 せき 英語 weir ウィアー 川の流水を制御し,河川を横断する構造。ダム以外の構造物で堤防の機能をもたないもの。
山田堰は寛政2(1790)年に古賀百工により総石張りが完成。灌漑面積を488haに拡大する。
[34] 樋口實&喜寿江夫妻と杷木中学校における炊き出しで家族のようになる。https://www.youtube.com/watch?v=_slO-F4prKg
[35] 季刊誌『支縁』No.27 (2019年5月1日 神戸国際支縁機構 1頁)。季刊誌『支縁』No.34 (2021年2月1日 〃 2頁)。
[36] 季刊誌『支縁』No.42 (2023年2月1日 〃 2頁)。
[37] ペシャワール市はパキスタン国にある人口197万人の都市。首都イスラマバードから車で約2時間。
[38] 『西日本新聞』(2019年9月2日付)。『ほんとうのアフガニスタン』(中村哲 光文社 2002年 92-93頁)。
[39] 2006年までに1600箇所の水源を獲得。
[40] 『ペシャワール会報』59号 (2000年12月15日)。
[41] 「大石堰」とは 江戸時代初期1664年に筑後川を命懸けで実現した五人の庄屋による水害防止の杷木市に隣接するうきは市に現在もある堰。お上(かみ)ではなく,民間の農家の知恵が地域の農地を潤していた。1953年に改修が一時中断。
[42] 『朝日新聞』(2023年3月20日付)。季刊誌『支縁』No.43(2023年〃 5月1日 2頁)。
[43] ペシャワール会報134号(2017年12月5日)。
[44] 先代の梶原征子宮司は水害のため一晩中浸水したまま両手の布団に家族を抱き,停電で真っ暗闇の中立ち往生なさった。季刊誌『支縁』No.42 (2023年2月1日 2頁)。〃 No.45 (2023年11月1日2頁)。
[45] 『毎日新聞』(2021年1月27日付)。住民参加と言いながら,公開説明会にしてもすべて形式的な儀式にし,批判する出席者の意見は聞いても,決定ははじめから決まっている。変えない出来レースではハーバーマスが言う「公開性」(ドイツ語 Öffentlichkeit)こそが「公共性」そのものではなくなっている。chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://kicc.sub.jp/wp-content/uploads/2020/04/bde9e22285506bd48039296482693954.pdf
[46] 乙石川の氾濫などで,地域の農業復興がおぼつかない時,日隈繁夫事務局長,堀 真由美次長は奮闘。そばづくりなどに神戸国際支縁機構は経済・ボランティア協力。季刊誌『支縁』No.24 (〃 2018年8月4日 2頁)。
[47] 樋口喜寿江さん(福岡県松末 85歳)は,小学校授業で,スギの植樹を奨励され,よく山に入ったと語られます。
[48] 拙論「動物への謝罪と責任―人類と自然の共生への時代―」前半 (いのち会議 大阪大学SSI 2024年7月4日),拙論「動物の解放」(神戸新聞会館聖書のことばシリーズ 124回 2024年9月1日 3-4頁)。
[49] 下草の光合成もなく,酸素を吸収せずに二酸化炭素で充満する。土壌微生物, 細菌(バクテリア)の働きがないと森は死ぬ。コンクリートではミミズなどが生息できないだろう。土壌菌がいないと保水力,保肥力を失うことにより根が腐る。
[50] 草原は,ひとが適度に手を加えることによって保たれてきた植生。山里が生活文化の担い手になった時代がある。質の高い生活産業の場として役割を問い直す時ではないか。拙稿季刊誌『支縁』「田・山・湾の復活」No.8,9 (神戸国際支縁機構 2014年)。
[51] 拙論『ダムと伐』(第5次佐賀水害ボランティア報告 「小さくされた人々のための福音」講座 神戸市勤労会館 2021年)。
[52] 拙論『福音と世界』誌(2022年12月号) https://kicc.sub.jp/2023/05/12/pastor-thesis-10/fukuin-to-sekai/
[53] 季刊誌『支縁』No.30 (2020年2月7日 4頁)。
[54] ベトナム戦争[1964-1973]に嫌気をさしたヒッピーの若者たちは平和な地,桃源郷を求めてアフガニスタンに殺到。
[55] 「地に住む者は虫けらに等しい」(イザヤ 40:22 『新共同訳』)。
[56] 右ガ(ンジス川)左がイ(ンダス)川。
[57] クナール川の河畔にはアフガニスタン人たちが蛇籠をつくった。蛇に似た形からその呼び名が由来するように,元来は円筒形。2千前の中国の都江堰(トゥーチャンエン)の築造にも使用。クナール河畔の蛇籠にヤナギを植えた。
[58] 女子中等教育の禁止措置によって教育を受ける権利を奪われた女の子が40万人近く増え,合計220万人となった。ユニセフ(国連児童基金)事務局長のキャサリン・ラッセルは,「この禁止措置が2030年まで続いた場合,小学校から先の教育を受ける権利を奪われる女の子は400万人を超えることになる」,と憂慮。「UNICEF協会」(2025年3月22日)。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)のアズレ事務局長は,女子約220万人が中等教育以上の学校から排除されている。『日本経済新聞』(2025年8月15日付)。『東洋経済』(池滝和秀 2021年8月24日 タリバンが「女性蔑視思想」を築いた3つの背景について説明。
[59] “ARAB NEWS” (26 Sep, 2025)
[60] 『BBC』(2021年1月18日)。
[61] 『NHK』(2024年12月6日午後5時27分)。
[62] 『NHK』(2024年12月6日午後6時半)。
[63] 『ハディース』Ⅴ(イスラーム伝承集成 牧野信也訳 中公文庫 2001年 45頁)。
[64] 「もしあ,あなた方が(女の)孤児に対して公正を貫けないことを怖れるのならば,あなた方に合法的な女性を二人でも,三人でも,あるいは四人でも娶るがよい。そしてもし(複数の妻を娶ったら,彼女らを)平等に扱えないことを怖れるのなら,妻は一人だけにするか,……」(婦人章 148)。『クルアーン(コーラン)』(佐藤裕一訳 ファハド国王マディーナ・クルアーン印刷コンプレックス 2014年 148頁)。
[65] 『僕たちは言葉について何も知らなかった』(小野純一 ニューズピックス 2025年 115頁)。
[66] 非言語コミュニケーション:表情や視線,姿勢など「動作で表れるもの」と,声の大きさや話す速度など「言葉を発する際に表れるもの」,また,相手との間にある距離感のように「空間に表れるもの」を大切にしている。だからこそ,どこへ行っても溶け込む。
「異邦人との共生」(佐々木美和 第1次モロッコ地震災害ボランティア報告 2023年 9頁)。ダウンロード












基金開設

タリバン政府ザビフッラ・マジャヒッド広報担当者(Zabihullah Mujahid)によると,震源近郊クナール州における死者は1,411に上った(アルジャジーラ,NHK,2025年9月3日)。
アフガン東部でM6.0、800人死亡 複数の集落壊滅、救助難航(時事通信 外信部2025年09月01日18時14分配信)
9月1日、アフガニスタン東部クナール州で、地震により建物の倒壊などの報道(EPA時事)。アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードなど含む集落での負傷者の様子も報道(AFP)。米地質調査所(USGS)によると、アフガニスタン東部で8月31日午後11時45分(日本時間9月1日午前4時15分)ごろ、マグニチュード(M)6.0の地震を観測した。イスラム主義組織タリバン暫定政権によれば、東部クナール州を中心に800人以上が死亡、約2500人が負傷した。犠牲者はさらに増える恐れがある【ニューデリー時事】。
過去の地震:アフガニスタン地震、西部にてM5.9、2023年10月7日2023/12/3 updated, 2023/11/26updated, 2023/10/10updated, 2023/10/7posted
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逃げられない孤児,シングルマザー,高齢者へ
救 援 募 金 アフガニスタンにまたもやの大地震
孤児の里親にもなってください。
10月7日(土)午前11時にマグニチュード5.9の規模で,3時間にわたる大きな余震のため,アフガニスタン西部のヘラート州(イランから120㎞)の北西部ゼンデ・ジャン地区サルブランド村全体が壊滅した。
昨年の6月22日の大地震から復興の見込みもたたない中での被災である。特にユーラシアプレートとインドプレートの接合部近くにあるヒンドゥークシュ山脈に頻発している。神戸国際支縁機構は救援活動を続行している。みなさまのご協力をお願いします。
アフガニスタン 孤児,シングルマザー,未亡人,高齢者 救援金
振り込み先 郵便口座 14340-96549731 加入者名 カヨ子基金
他行口座(ゆうちょ以外)から⇒ 店名四三八 店番438 普通預金 口座番号9654973
書き込める方はアフガニスタンと記してください。
「カヨ子基金」は助成を得ることをせず,みなさまからのご支縁によって,交通費,宿泊費などすべてまかなっています。救援金は全額,現地へお届けします。
目標額 100万円(100万円以上集まっても,全額,現地のために用いられます。たとえば孤児の家の複数建設に用いられます。)
since 2023年10月7日以降
現在 99,000円
佐々木美和,神戸国際キリスト教会,岩村義雄,大島健二郎(2),阿部和夫&斉子(宮城県石巻),
中山圭子,木村ふみ子(宮城県石巻)(2),石井泰代,中村清雅(3),東原良学,阪上留美子,
2022年6月
Afghanistanアフガニスタン Pakistan パキスタン flood洪水
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クリスチャントゥデイ
国土3分の1浸水のパキスタン、地震と洪水被災のアフガン 神戸国際支縁機構が救援募金 2022年9月5日23時50分
パキスタン アフガニスタン 孤児,シングルマザー,未亡人,高齢者 救援金
振り込み先 郵便口座 14340-96549731 加入者名 カヨ子基金
他行口座(ゆうちょ以外)から⇒ 店名四三八 店番438 普通預金 口座番号9654973
書き込める方はパキスタン アフガニスタンと記してください。
「カヨ子基金」は助成を得ることをせず,みなさまからのご支縁によって,交通費,宿泊費などすべてまかなっています。救援金は全額,現地へお届けします。
目標額 100万円(100万円以上集まっても,全額,現地のために用いられます。たとえば孤児の家の複数建設に用いられます。)
since 2022年8月28日以降
現在 79,500円
佐々木美和,神戸国際キリスト教会,岩村義雄,
有田貞一 & 美榮子,東原良学,小坂田さち子,泉とも子,
緒方眞喜代(熊本県相良村なつめ保育園),尾関マユミ,
朴 淳用,苅部眞砂子,池田裕子,萩原文子,井本敦幸
2022年6月22日アフガニスタンで地震発生
9・11テロ以降,アメリカ軍が空爆したことにより,孤児が生まれ,神戸国際支縁機構が発足することになった国。
タリバンが政権を掌握してから最初に経験する自然災害。
ホースト州の州都から南西へ28マイルが震源地。6月22日(水)の未明にマグニチュード5.9(欧州地中海地震学センター EMSC M6.1)。1600人以上が負傷。戦争被災者の治療から一転して,地震被害者に。パキスタンとの国境近くの山岳地帯における豪雨と風雨が救援活動を妨げになっている。被災者はパクティカ州に集中している。
みなさんで孤児,シングルマザー,差別されている少数民族に支縁しよう。
アフガニスタン 孤児,シングルマザー,未亡人,高齢者 救援金
振り込み先 郵便口座 14340-96549731 加入者名 カヨ子基金
他行口座(ゆうちょ以外)から⇒ 店名四三八 店番438 普通預金 口座番号9654973
書き込める方はアフガニスタンと記してください。
「カヨ子基金」は助成を得ることをせず,みなさまからのご支縁によって,交通費,宿泊費などすべてまかなっています。救援金は全額,現地へお届けします。
目標額 100万円(100万円以上集まっても,全額,現地のために用いられます。たとえば孤児の家の複数建設に用いられます。)
since 2022年6月22日以降
現在 674,100円
佐々木美和,神戸国際キリスト教会,岩村義雄,
大島健二郎(2),有田貞一 & 美榮子(2),熊野千秋,
ルア教会(沖縄バプテスト連盟 伊礼徹&直子),
白瀬悦子,
福音伝道教団本庄キリスト教会(吉田 孝),
本田寿久,嶋田博信 & 礼子(千葉県布良),
石井久雄 & 恵美子,新免 貢,廣森勝久,
本田洋子,神納茂子,土手 朋,鷹取教会有志,
大野祐弥&信穂,神戸聖福教会(泉眞姫社長),
水谷弥生,(有)本田商会,
日本自由メソジスト葛城キリスト教会,
藤丸秀浄,玉の肌石鹸株式会社,的野慶子,
島田 徹,若宮紀章,大友秋彦,石井康代,
日本バプテスト同盟 西岡本キリスト教会,
光嚴寺 千田豊穂,千葉幸一,白方誠彌,匿名,
日進館 大野克美,中山圭子,秋田喜代子,
ハバット・ハウス・オブ・ジャパン
ラビ ビンヨミン・エデリー,
明石バプテスト・キリスト教会,西上千栄子,
大嶋善直,守屋香代子,ナエダジュンイチロウ,
村上安世,島田信一&安子,廣瀬素子(2),竹内喜子
平井一嘉,白瀬悦子,東原良学(2),尾関マユミ,
林かれん,木村ふみ子,苅部眞砂子,池田裕子,
福地弥寿子,
中村清雅

