ポウオー村で被災した兄弟たち。被災した生後8か月の弟(中央)と弟の面倒を見る兄(右)。
温かい救援金を感謝申し上げます。
横揺れ 12分後に縦揺れ ミャンマー
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記事・報告(更新順)
『毎日新聞』(朝刊)2025年4月17日

『神戸新聞』(朝刊)2025年4月15日

『讀賣新聞』(朝刊)2025年4月15日

『中外日報』2025年4月11日

『神戸新聞』(朝刊)2025年4月7日
『クリスチャントゥデイ』2025年4月4日「ミャンマー、タイの被災地に現地入り」
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神戸国際支縁機構の岩村義雄代表と、同機構の海外部門であるカヨ子基金の佐々木美和代表が、3月28日に発生したマグニチュード(M)7・7の地震で大きな被害が出ているミャンマーとタイの被災地に現地入りした。
岩村氏らは3月30日、神戸国際キリスト教会の礼拝後に日本を出発し、同日にタイの首都バンコクに到着。バンコクでは、建設中だった33階建てのビルが地震により倒壊し、多数の死者と行方不明者が出ている。岩村氏らによると、ビルの倒壊現場付近では、宗教団体や軍が炊き出しなどを行っていた。また、バンコクのチャチャート・シティパン知事も視察に訪れており、被害状況を直接聞くことができたという。
31日夕にタイを出発し、同日深夜に100歳になる仏教のウー・ティ・ザ老師らとミャンマーに入国。入国後、車で約10時間かけ、震源地に近く大きな被害が出ているミャンマー第2の都市マンダレーに向かった。マンダレーに到着したのは4月1日で、最も被害が大きく、同日時点で138人の死者が確認されているポウオーを中心に訪れ、現地の人々から被害状況を聞くなどした。
岩村氏らによると、現地の病院は野戦病院と化しており、病床が不足しているため、道路脇に停車した荷物用車を寝台代わりに用いるなどしている状況だという。「気温は40度を超えていましたが、地震の被害のすさまじさに背筋が冷たく、暑さを感じませんでした」と話す。
現地の若者たちとボランティアグループができ、被災現場を訪問。岩村氏は「はだしのアンクル」と慕われた。4日に帰途に着く際は、卵などを贈られた。
現地の住民の多くは米作を中心とする農民で、電気もなく、水は井戸水を用いている。カヨ子基金は、紛争や自然災害で親を失った孤児らを支える活動を行っており、地元の村長からは孤児の家である「カヨコ・チルドレン・ホーム」の建設を期待する声もあったという。被災地への救援金は、カヨ子基金が郵便振替(14340・96549731、通信欄に「ミャンマー」と記載)、または銀行振込(ゆうちょ銀行、四三八店、普通、9654973)で受け付けている。孤児の里親も募集しており、問い合わせは、佐々木氏(電話:080・4267・4820、メール:miwa.kayokofund2@gmail.com)まで。

『クリスチャン新聞』2025年4月3日「「被害すさまじい」バンコク、マンダレーを訪問」
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国内外の災害・人道支援に取り組んできた、神戸国際支縁機構代表・岩村義雄さんと姉妹団体で、世界の孤児支援をする「カヨ子基金」代表・佐々木美和さんは、ミャンマー大地震発生後、3月30日の礼拝後すぐに、タイ、ミャンマーを訪問した。以下岩村さんからのレポート。
§ §
3月30日に出発しミャンマーの巨大地震(マグニチュード7.7)の震源地ザカイから1000キロ離れた隣国のタイ国首都バンコクに向かいました。31日午前7時半に到着。
市内の チャトゥチャック(Chatuchak)を訪問。33階建ての高層ビル倒壊が倒壊し,現場にバンコクのチャチャート・シティパン(Chadchart Sittipunt 59歳)知事の視察に遭遇しました。被害者の数などを尋ねる機会もありました。死者11人、不明1人、負傷者76人。現場から45分地下鉄を利用してバング・ホーに向かい、そこでも倒壊したクレーンで一人が犠牲になって騒然としていました。その夜、タイ国スワンナプール空港からミャンマーに。100歳になる仏教のウー・ティ・ザ老師たちと入国しました。
4月1日、ミャンマーの最大の被災現場であるマンダレー(Mandalay မန္တလေး ヤンゴンに次ぐ第2の都市人口約150万人)に到着しました。空港は地震で閉鎖のため、車で約10時間かかりました。ネピドーなどを経由して、マンダレーの最も被害が大きく
138人が亡くなっていたポウオーを中心に寄り添いました。震源地ミャンマー国ザカイでは橋が崩落したり、住民の家屋も損壊しています。
病院も野戦病院と化していました。病床数が不足し、道路脇に荷物用車に寝台代わりに用いていました。住民の多くは農家です。トラクターなど用いないアジア特有の人間の手でコメを育てています。牛、山羊、鶏、ガチョウ、アヒルなども、被災住民が牧草地に移動してきて青空の下に生活をされています。
気温は40度を超えていましたが地震の被害のすさまじさに背筋が冷たく、暑さを感じませんでした。電気もありません。水は井戸水を用いています。
ウッケマン村長(51歳)から、孤児のために「カヨコ・チルドレン・ホーム」を期待されました。

第1次ミャンマー・タイボランティア(報告第1版)
横揺れ 12分後に縦揺れ ミャンマー
2025年3月30日に日本を出発し,ミャンマーの巨大地震(マグニチュード7.7)の震源地ザカイから1000キロ離れた隣国のタイ国首都バンコクに向かいました。31日午前7時半に到着。市内の チャトゥチャック Chatuchakを訪問。33階建ての高層ビル倒壊が倒壊し,現場にバンコクのチャチャート・シティパン(Chadchart Sittipunt 59歳)知事の視察に遭遇しました。被害者の数などを尋ねる機会もありました。死者11名 不明1名 負傷者76名。現場から45分地下鉄を利用してバング・ホーに向かい,そこでも倒壊したクレーンで一人が犠牲になって騒然としていました。その夜,タイ国スワンナプール空港からミャンマーに。100歳になる仏教のウー・ティ・ザ老師たちと入国しました。
4月1日,ミャンマーの最大の被災現場であるマンダレー(Mandalay မန္တလေး ヤンゴンに次ぐ第2の都市人口約150万人)に到着しました。空港は地震で閉鎖のため,車で約10時間かかりました。ネピドーなどを経由して,マンダレーの最も被害が大きく138名が亡くなっていたポウオーを中心に寄り添いました。震源地ミャンマー国ザカイでは橋が崩落したり,住民の家屋も損壊しています。現地でボランティア志願の若者たちが集まってきて,行動を共にしました。
病院も野戦病院と化していました。病床数が不足し,道路脇に荷物用車に寝台代わりに用いていました。住民の多くは農家です。トラクターなど用いないアジア特有の人間の手でコメを育てています。牛,山羊,鶏,ガチョウ,アヒルなども,被災住民が牧草地に移動してきて青空の下に生活をされています。気温は40度を超えていましたが,地震の被害のすさまじさに背筋が冷たく,暑さを感じませんでした。電気もありません。水は井戸水を用いています。ウッケマン村長(51歳)から,孤児のために「カヨコ・チルドレン・ホーム」を期待されました。被災した遺族たちはこれから生きていくことに不安があります。日本からの応援をお願いします。
孤児の里親にもなってください。



































ミャンマーへの基金
振り込み先 郵便口座 14340-96549731 加入者名 カヨ子基金
他行口座(ゆうちょ以外)から⇒ 金融機関コード 9900 店名四三八 店番438 普通預金 口座番号9654973
書き込める方はミャンマーとご記入ください。
「カヨ子基金」は助成を得ることをせず,みなさまからのご支縁によって,交通費,宿泊費などすべてまかなっています。救援金は全額,現地へお届けします。
目標額 100万円(100万円以上集まっても,全額,現地のために用いられます。)
since 2025年3月28日以降
現在 1165,000円
佐々木 美和,神戸国際キリスト教会,岩村 義雄,大島健二郎,有田貞一,本田寿久,原浩司,
横山惠子,安西玲子,新地和惠,イエス・キリスト聖成伝道教会,ハート基金(コープこうべ災害緊急支援基金)運営委員会