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★ご献金くださっている皆さまに,御礼を申し上げます。★
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★報告記事など
↓・活動の報告や記事をご覧ください(新しいものから順に)。
平和のための集会をウクライナ避難民と(2024年6月28日)
神戸や大阪など関西圏在住のウクライナ避難民女性のかた,子どもたちが集まり,平和について集会を行いました。
・サンキタひろば(神戸三宮)で平和のための集会(2024年2月26日)
神戸や大阪在住のウクライナ避難民女性のかたたちが集まり,平和について集会を行いました。
通行人のかたなどが「カヨ子基金」孤児支縁のため募金をしてくださいました。
77,033円の募金が集まりました。
皆さまの温かいご支縁に,感謝申し上げます。
・『毎日新聞』朝刊(2023年9月4日付)
・『毎日新聞』(2023年9月3日付)。
在日ウクライナ人集会@サンキタ(8月24日)
★通行人の皆さま,21,606円と20ドルのご献金をありがとうございました。全額孤児の家建設のために使わせていただきます。
第5回ウクライナ・ボランティア6月10日~6月24日
・「敵である友,友である敵 ~戦場ウクライナからの報告~」日本基督教団神戸栄光教会 2023年8月6日
・『中外日報』(2023年8月3日付)。
『クリスチャンプレス』(2023年7月30日付)
・『文化時報』(2023年7月14日)
“UINNO NEWS”(July 10, 2023)
・『クリスチャントゥデイ』(2023年7月1日) 英語版
『クリスチャントゥデイ』「岩村義雄牧師、ウクライナのザポリージャなど訪問 キーウ神学校の神学教育責任者と対談」(2023年7月1日)

・サンキタひろば集まり(6月28日)ウクライナ憲法集会
平和のつどいを行いました。街頭募金に,「カヨ子基金」現地への全額寄付金8万1,586円が集まりました。ありがとうございます。(神戸新聞6月30日掲載)
・現地:第5回ウクライナ・ボランティア6月10日~6月24日
ウクライナ ザポリージャ原子力発電所(ZNPP)近くに訪問 2023年6月11日~24日
災害に慣れっこになったとはいえ,危機に対して,無防備であってはいけない。リスクを首尾良く逃れる道は自動的に開かれるのではない。心して研ぎすまされた感性による洞察力が求められよう。
六角川氾濫(2020年)の際,携帯メールによる避難勧告,2017年以降,福岡県松末(ますえ)住民に対する国土交通省(以後,国交省)の住民説明会,人工知能(AI)で水害予測は信頼できないことも露見している。なぜなら,権力者,学者,専門家だけが把握しており,隠された情報が多いからである。原発,戦争,領土紛争などは一般の庶民が気づいた時にはもう引き返せない瀬戸際に追い込まれている。
6月11日から24日まで,第5次ウクライナ訪問を通じて,マスコミ報道では知る由がなかった事実を目撃した。ポーランド国ワルシャワから約10時間,大型長距離バスでウクライナの首都キーウ(キエフ)に向かう。乗客はウクライナ人ばかりである。男性は10代半ば以下だけである。18歳~60歳は徴兵により,東部前線に昨年2月24日以降,行ったきりである。人類は繰り返し愚かな熱狂の渦に巻き込まれている。
途中,延々と続く畑,麦,大麦,穀物である。中学時代に学んだ土壌黒土チェルノゼム※のおかげで世界一の穀倉地帯である。車窓から見る光景は人類はよくもこんなに広大な地域に水をやり栽培してきたなあと考えると気が遠くなる。能率,効率,便利とは無縁の根気がないと人間は生きていけない。何百年,何千年と大地にへばりついてきたことを思うと,大都会であるニューヨーク,東京,パリの華やかなイルミネーション,交通の騒音で生活する現代人が忘れてきた過去から続いている遺産である。
かつてはトラクター,コンバイン,農機械を用いずに耕作してきた根気を思うと,「人間とは何か」を考えさせられる。
※チェルノゼム черно(チェルノ<黒いの意>)とзём(ゼム<地,土地の意>)。土の層は1メートルほどある。黒いのは,枯れ草などの有機物を微生物が分解したあとに残る「腐植」という物質が多いからである。黒色の厚い腐植層,その下に炭酸カルシウムの集積層が重なる。
動画をご覧ください。https://youtu.be/USgnPpiDUEk
6月19日(土),父親はチョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故[1986年4月26日]で被ばく,息子達二人共放射能汚染を遺伝として受け継いでおり,徴兵を免除されている。左のブラッドさん(34歳)はドローン攻撃の被害跡を案内してくださった。真ん中に立っているアレキサンダーさん(60歳)は2023年3月2日深夜2時,ドローンによって15人が死傷したこと,倒壊した建物を案内してくださった。

ロシア軍は命中度の高いドローン攻撃で恐怖心を与え続けている。
しかし,大都市キーウ(キエフ)の800近くあるゴシック建築の伝統ある正教会はかすり傷ひとつ負っていない。
東スラブ民族(ロシア人,ウクライナ人,ベラルーシ人)は兄弟国であり,同じ正教会の原点をもっている。だからロシア軍は攻撃しない。
大災害,戦争,手抜き工事によってダムは決壊する
カホウカダムの決壊
東部前線のマウリポリから100キロも離れていないザポリージャ原子力発電所(ZNPP)はロシアの統治区域である。6月18日(金)夜に,キーウからバスで出発。7時間かけて黒海に近い南東部にあるザポリージャ市に向かった。6月6日午前2時50分ごろにウクライナ南部ヘルソン州ノバカホウカにある「カホウカ・ダム」が決壊した。ロシアとウクライナのどちらがしかけたかは,昨年の2月24日から3月28日までブッチャにロシアの地上軍が蹂躙した時,首都キーウに向かうイルピン橋が破壊されたが,ロシアとウクライナのどちらが仕掛けたかいまだに決着がついていない。
カホウカダム崩壊により,8つの村とヘルソン市一部が水没。水没で45人の犠牲が出たとAP通信は伝えている。ウクライナ住宅保健省は,ヘルソン市住民に遊泳や釣りを行わないように伝えた。水の最も危険な汚染物質は,サルモネラ菌,ロタウイルス,虫卵,大腸菌といえる。東日本大震災の津波で雪の中,腰までつかりながら逃避行をした人々が数年後に身体の不調を訴えるのを聞くのも珍しくなかったことを思い出す。私たちも最初は戸別訪問をして,殺菌消毒のボランティアを繰り広げたこともあった。

3千人いた村民の内,千人は村からいなくなった。アレキサンダー村長(60歳)は村の収入源である魚が捕れなくなって嘆いていた。対岸のロシア軍の攻撃によって村のコミュニティホールも損壊していた。

劣化ウラン弾は発電用や核兵器用にウランを濃縮した後,残った残留ウランで作った砲弾。密度が高く重いため貫通力に優れているが,人体および環境に有害な兵器と批判されてきた。
劣化ウラン弾は遠くからも敵軍の戦車の装甲を突き破ることができるため、ロシアの戦車に効果的に対応できる。
戦争に正義はない。
現地から(3月23日,4月23~25日,4月28日,5月5~6日,5月9~10日,5月13~14日)
第3回ウクライナボランティアで面会したギョルギ医師から連日SNSをとおして現地の様子が送られてきています。
現地から(3月21日)
第4回ウクライナボランティアで届けた発電機について,3月21日前線近くの現地住民からお礼の連絡がありました(英語)。「the generator that you’ve provided, had already saved peoples’ lives(提供してくれた発電機がすでに今まで多くのひとびとのいのちを守りました)」と,WhatsAppアプリをとおして,笑顔の絵文字付きで送られました。
募金活動へのご協力に感謝申し上げます。(2月24日)
三宮で街頭募金にご協力くださった皆さまのおかげで,100,000円(街頭募金89,410円+献金10,590円)の募金をウクライナ支縁に用いさせていただきます。寒い中で立ち止まってくださった皆さま,ありがとうございました。本企画を立案された避難民のラリサ・クハーチュック様,企画を実現させた大河戸章代様,鳥岡正成様,街頭募金箱を持ってくださった野田健二様,皆さまに御礼申し上げます。
第4回ウクライナ・ボランティア
2月10日から18日:第4回ウクライナボランティア。皆さまのおかげで、発電機をお渡しすることができました。
2023年1月27日『クリスチャントゥデイ』「カヨ子基金、ウクライナに送るポータブル電源や発電機を募集 現地からは悲痛な声」 ウクライナ 戦禍逃げられない孤児,戦争未亡人,高齢者
「カヨ子基金、ウクライナに送るポータブル電源や発電機を募集 現地からは悲痛な声」2023年1月27日13時27分
関連タグ:カヨ子基金,神戸国際支縁機構(KISO),ウクライナ
戦時下のウクライナで「孤児の家」の開設を目指し、これまで3回にわたり現地を訪問している神戸国際支縁機構の海外部門「カヨ子基金」が、厳しい寒さの中、電力不足に直面している同国の人々を援助しようと、現地に送るポータブル電源や発電機を募集している。
カヨ子基金はこれまで、昨年6月、8月、10月の3回にわたり、ウクライナを訪問。現地の状況を視察するとともに、孤児たちが住む「カヨコ・チルドレン・ホーム」の開設場所や現地の協力者を探してきた。
6月の訪問時には、ロシア軍との激しい戦闘が行われた首都キーウ近郊の町イルピン出身の男性が案内してくれたことにより、同じくロシア軍による住民の虐殺があった近隣の町ブチャを訪れることができた。しかし、この男性の元にも昨年末に徴兵の連絡が来た。2日間だけクリスマス休暇を取って戦地に戻る際に、カヨ子基金の佐々木美和代表に連絡をしてきたという。
「もう二度と会えるか分からない。不在の間、家族を再訪してほしいという連絡でした。彼は『殺したくない』とつぶやきました。しかし、即座に『ウクライナに栄光あれ』と言い換えました。戦時下では、停戦・終戦は子どもも口にできません。いつロシアから不意打ち、夜襲攻撃があるか誰も分かりません。戦禍の国では、停戦交渉、言葉による希望は、死んだ言葉になっています」
ウクライナは、ロシア軍による電力インフラに対する度重なる攻撃により、厳しい寒さの中、電力不足に陥っている。そのため、カヨ子基金は、ポータブル電源や発電機を日本国内で調達し、現地へ直接届けることを計画している。
募集しているのは、医療機器や一般的な家電が稼働できる通常出力1500~2000W程度のポータブル電源や持ち運び可能な発電機。本体重量が20キロ未満であれば、持ち運びができて使いやすい。ポータブル電源については、具体的な機材としては「Jackery 2000 Pro」などが理想的だという。発電機については、「女性が運搬するので、できるだけキャスター付きだと助かる。インバーター発電機だとなお一層助かる」と要望している。
2月9日(木)までに、神戸国際支縁機構(〒655-0049 神戸市垂水区狩口台5-1-101)に届けてもらえれば、現地への輸送に間に合う。一方、その後も別便で送ることは可能で、常時受け付けているという。ポータブル電源や発電機の購入・郵送に関わる費用、救援金も募集しており、寄付は下記の口座まで。受取人の名義はいずれも「カヨ子基金」。
■ ゆうちょ銀行の場合
記号:14340 番号:96549731
※ 通信欄に「ウクライナ」と記載
■ ゆうちょ銀行以外の場合
店名:四三八(店番:438) 預金種目:普通預金 口座番号:9654973
第2次ウクライナ・ボランティア
2022年9月28日『クリスチャントゥデイ』 2022年9月22日~25日
https://www.christiantoday.co.jp/reporter/sasaki-miwa/
第1次ウクライナ・ボランティア
Christian Press 2022年6月21日(https://christianpress.jp/kokusaishien0621/)
第1次ウクライナ・ボランティア報告 2022年6月12日
「第1次ウクライナ・ボランティア報告」
2022年5月28日~6月12日
(社)神戸国際支縁機構 理事長 岩村義雄 「カヨ子基金」代表 佐々木美和
<序>
ウクライナ訪問の目的は人道支援である。「カヨコ・チルドレン・ホーム」を建設するために,戦争で親を亡くした子どもたちとの接触である。大人になるまで共同で生活する養護施設を建設すること。孤児たちを世話してくれるウクライナ人を探す目的がある。2022年5月28日,離陸する成田空港へ神戸から向かった。神戸国際支縁機構の村上裕隆代表,野田健二氏が見送ってくださった。岩村は海外に孤児のための施設を10ヶ所すでに建造した。「カヨ子基金」の代表として,佐々木ははじめて国境を渡河する。行き先は外務省危険レベル4が発された。日本国内では,戦争紛争地と報道される。ウクライナ語もできない単身女性の乗り込みは,勇気だけでは無謀と言われよう。しかし,現地の受け入れ先からの招待,兵庫県の斎藤元彦知事,神戸市の久元喜造市長の親書もある。48時間以内のPCR検査,宿泊場所の確保など入念な準備を2月24日のロシア軍侵攻以来,備えてきた。
キリストの道の宗教者として,現地ハリストス正教会との連絡にも慎重を期した。成田空港でポーランド航空カウンターに並ぶ。成田空港以降,帰国するまで,マスクをしている人はいなかった。出国時は不安がなかったが,緊張が高まった。早朝5時過ぎから荷物検査,Eチケット確認,法務局の出国手続きに緊張が高まった。日本人乗客はいない。多くはポーランド人であった。岩村は言う。「国や,民族によって,親日的というのは間違っている。同じ人間として,言葉によらず,目,声の色,笑顔で接すれば,どこの国の人たちとでも友達になれる」,と。その言葉を反芻しながら,たとえポーランド語,ウクライナ語ができなくとも,初対面において,気後れすることなく,ヨーロッパの人々と接するように心がけた。すると不思議に気分が前向きになることに気がついた。
目次
(1) 日本から戦地へのボランティア
a. 鐘が鳴るワルシャワ
b. 長距離バスでキーウへ
c.ウクライナ国首都キーウ
(2) ウクライナの現場は宗教帝国の犠牲なのか
a. 価値観が共産主義から正教会への変化
b. イルピン―首都を守るための爆破?
c. 権力者(エクレーシア) の台頭による新たな勢力図絵
(3) 孤児支縁
a. だれが世話をするのか
b. 孤児との出会い
c.世話する人
(1) 日本から戦地へのボランティア
a. 鐘が鳴るワルシャワ
5月29日(月曜日)午後2時半,LOT航空で,ポーランド国ワルシャワに到着。ポーランドはYahoo(ヤフー)が使用できないので,インターネットはGoogleを使う[1]。日本と欧州間は基本的に同じ政治体制である。にもかかわらず,今年4月6日以降,インターネットに「国境」 ができている。データ保護が理由とはいえ,グローバル化の波に逆らうリージョナリズム(地域主義)が徐々に普遍的な価値観をそなえつつある。ウクライナ戦争がもたらした危機のひとつではないだろうか。
ワルシャワでは,安価なアパートに宿泊した。1階はネパール料理店であり,経営するアルメニア人の女店主ヌネさんたちと親しくなった。通りをはさんだ向かいに大きなローマ・カトリック教会がある。聖バルバラ教会Parish Saint Barbaraであった。夕方のミサに参列した。ワルシャワは教会が多く,日曜日以外にもミサがあり,会堂を埋めるほど多くの信者が礼拝しているのには驚いた。敬虔なローマ・カトリック信者が多い。教皇ヨハネ・パウロ2世[1920-2005] [2]を生み出す模範的なローマ・カトリック王国の実像に圧倒される。
筆者岩村は,幼い時から,三代目のローマ・カトリック教会信者の家庭で育ったゆえに,ノスタルジア観が全然ないと言えばうそになる。はじめて故カヨ子とデートしたのも東京四谷にある聖イグナチオ教会であった。ポーランドの教会数は,ワルシャワ,クラクフなどにしても数は三桁を超えている。伝統を受け継ぐ,名所旧跡になっているゴシック建築の大きな教会の百貨店と言えよう。単なる有名な建造物の林立がすごいのではなく,今も地元住民たちが毎日,心を注いで祈って,信仰が息づいている。道ですれちがう修道女と出会えば,自然に双方にほほえみが生まれる。幼稚園,日曜学校時代に育まれた関係性が民族,国,言葉を超えさせるのだろう。
2か月間に,ウクライナから隣国ポーランドに避難した民のおよそ294万人のうち,3割ちかくにあたる,およそ85万人が帰国していた。専門家は「首都キーウ周辺から撤退するロシア軍の動きに合わせて帰国する人の数が増えていて,戦況が大きく影響しているとみられる」と分析していた[3]。
b. 長距離バスでキーウへ
ウクライナ国キーウに向かう。世界が東西冷戦終結後最大の危機に直面しているならば,孤児の救済を第一にしている神戸国際支縁機構,「カヨ子基金」は現場の苦悩を捨ててはおけない。 国境を越える際,厳重なチェックがある。ポーランド語とウクライナ語の両方を理解できる人は多い。ロシア語も同様である。国境線でウクライナ国境警備隊の取り締まりに入国承認される間,2時間以上,車輌は並んで耐えねばならない[4]。一方,空を自由に飛び交う鳥にはなんら制限はない。人間が「国家」を造ったために,秩序と引き換えに自由を奪われた。キーウに入国する長距離バスには,一時避難していたウクライナ人の乗客がほとんどである。停滞していた国境前でやっとバスが動き出すと,大人も子どもも,わが家に帰られる気持ちで高揚している。ウクライナに入ると車窓にへばりつくハエも痩せ細っている印象がある。
筆者岩村は1970年,「ひまわり」の映画を途中まで見た。結末がどうなったかずっと気になっていた。今回のウクライナ訪問前,インターネットを見て,あらすじ全体を知ることになった。イタリア女優のソフィア・ローレン扮するジョバンナが,戦時下,マルチェロ・マストロヤンニが扮する行方不明となった夫アントニオと生き別れになった。ジョバンナが一面に咲き誇るひまわり畑の中で夫を必死に探していた。撮影現場はキーウから南へ500kmほど行ったヘルソン州である。ひまわりの中でジョバンナが老婆に夫の消息を尋ねていた。その老婆はウクライナ語で答えていた。ヒマワリはウクライナの国花である。国旗を彩る黄色は「ヒマワリ」,もしくは小麦に由来すると,帰途,神戸まで一緒になったウクライナ人ロラ・クハーチュックさん(59歳)[5]は言う。
c. ウクライナ国首都キーウ
ウクライナの首都キーウに生まれてはじめて足を踏み入れた。ロシア軍はキーウ周辺から撤退したとはいえ,サイレンがときおり鳴る。消防車の場合,「カンカン」だが,「ウ~ウ~」である。ウクライナ人はサイレンがなっても現在キーウでは近くのシェルターに駆け込む姿は見ない。夜も屋内なら警報に気づかず眠りこける。だが昼間にサイレンが鳴った時にはひとびとはしきりに携帯をとりだしなにかをチェックしているかのようだった。空爆時に市民にスマホなどで通知するシステムがあるからである。眉一つ動かすこともなく,仕事,会話,買物をしている。ドニエプル川の東側で爆発音がする。するといっせいに情景が戦時下になる。都会のいたるところに塹壕(ざんごう)が掘ってある。何世紀にもわたって,戦いに明け暮れ,風雪に耐えてきたからこそと感じさせられる。キーウ市をはじめ,道路わきのいたるところに「ヘッジホッグ」[6]の鉄の塊 が散見される。7日間の滞在中に,爆撃は1回だけであり,キーウ市には被害者はいなかった。
通りのいたるところにあるジェシェック・ヘッジホッグ。
ウクライナ国立生命環境大学キャンパス近く。2022年6月2日
キーウ市行政府庁舎 佐々木美和撮影
キーウ市のビタリ・クリチコ市長[7]と親しくなった。ロシア軍侵攻直後に,ウクライナ人に対して,ロシア軍にひるむなと訴え,徹底抗戦の音頭をとった。ゼレンスキー大統領の人気に決してひけを取らない。ウクライナ人は,勇猛な戦いの戦士コサック[8]の子孫の血を引いているせいか筋骨隆々としている人が多い。クリチコ市長は,夜10時,犬を散歩に連れ出していた。
ロシアの暗殺の刺客400人が特殊任務で,ゼレンスキー大統領,クリチコ市長など主だった30人を狙っているため,だれもが所在地などは知る由もなかった。
海外からの要人も接見は100パーセントできないほど厳重な警護体制になっていたおかげで,私たちも面談が実現できなかった。大統領が隣国のポーランドのクラクフ市に訪問した時も散歩姿でとつじょ現れ,近隣住民を驚かせた,とクラクフ在住フィレック翔子さんは語った。
6月2日,クリチコ市長とお合いした。
クリチコ市長(左端)との出会い
2022年6月2日。 佐々木美和撮影
日本への親書を8日にいただく関係ができた。彼は元世界ヘビー級チャンピョンでもある。ウクライナ人のみならず,ヨーロッパでは人気がある。
日本で始まったキックボクシングで,頭角を表わした彼はボクシングに転向し,世界の頂点に上りつめた。弟も現役の世界チャンピオンであり,ボクシング界で,知らない者はいない。彼は,キーウ市全体を要塞化している。身長2.01メートルの大男である。リング上では相手選手がゴリアテと恐れをなすに違いない。鋭い眼光であるが,柔和な笑顔で,私たちの宿舎を調整してくださった。握手をしたが,こちらの手はまるで赤ちゃんのように包み込まれた。連れている人なつっこい犬と,対照的であった。
私たち日本人にとり,ウクライナとのつながり,縁は深い。1918年のロシア革命後に樺太に亡命したウクライナ人に,コサック騎兵隊将校のボリシコ・マリキャン[1885/88-1960]がいた[9]。ボリシコは,ロシアに侵攻されている人口144万人のウクライナ第2の都市ハリコフ出身であった。彼の息子とは,第48代横綱の大鵬幸喜[1940-2013本名納谷(なや)]である。日本人が好きなモノ,「大鵬,巨人,目玉焼き」と言われるほど人気があった。大鵬の孫には,王鵬[2000- おうほう],夢道鵬[2001- むどうほう]が力士として,DDTプロレスでは納谷幸男[1994- 201㎝]がいる。巨漢のクリチコ市長やウクライナ人に会った時,コサックのDNAが連綿と受け継がれている印象が強いのは筆者だけではないだろう。
(2) ウクライナの現場は宗教帝国の犠牲なのか
a. 価値観が共産主義から正教会への変化
人口1万人の町が世界的に有名になったのは4月4日であった。ゼレンスキー大統領が西側報道陣を引き連れて民間人の遺体がそこかしこに放置された悲劇的なブチャを案内したからである。
“BussFeed News”(2022年4月5日付)。
ロシア軍とウクライナ軍は,同じ宗教的背景があるにもかかわらず,ロシアは同胞とも言えるウクライナの人々を無差別に攻撃したという事実を確かめたかった。
親しくなったキーウ地元の Vlad 記者が
撮影したブチャ。 2022 年 6 月 1 日
惨劇,犠牲者数,死因について,フランス,スペイン,国連の報告と日本の報道が大きく異なっていたからである[10]。筆者はウクライナ訪問前に,フランスなどの記事に基づいて,首都キーウに通じる橋をウクライナ軍が自ら爆破したとセミナーなどで語った。またレジュメでも言及した[11]。そのために日本のメディア報道を信じる多くの方たちから一笑に付された。
現地に立ち,ウクライナの首都キーウ滞在から,疑問が膨らんだ。ひとつに,キーウ市ではなぜ犠牲者が出ていないのか。なぜ首都キーウが砲撃されず,多数の死者が出ることを免れているのか。とうしてブチャ市や周辺のイルピン市などだけが悲惨な結果になったのか。
ブチャには,聖アンドリア教会 Church of St. Andrew & Pyervozvannoho All Saintsがある。
聖アンドリア教会
屍の前で,悲嘆にくれる。聖アンドリア教会
日本を離れる前,マスコミ報道で,ロシア軍が一方的に悪であり,二元論の構図でウクライナ善玉説を刷り込まれるように繰り返し教えられていた[12]。三つの理由で,画一的な報道内容は真実かどうか,疑義があり,確かめたかった。一つに,ブチャの橋などを爆破したのはロシア軍なのか。二番目に,同じ宗教環境で育っていて,ウクライナ住民を皆殺しにできたのか。三番目に,小さなウクライナ軍は優勢で,ロシア軍は後退を余儀なくされているのはどうしてか,という三点であった。
キーウの北西にあるブチャの街の人口は3万6971人(2021年)[13]である。今,筆者たちが立っている場所に,2ヵ月前にロシア軍がいた。訪問した6月3日はロシア侵攻後100日目であった。そのブチャは,ウクライナ軍が4月1日に奪還するまで,およそ一か月にわたってロシア軍に占拠されていた。ブチャの中心部にあり,象徴とも言える聖アンドリー教会[14]の司祭アンドリー・ハラビン氏を訪れた。司祭は教会の復興に携わっていた。正教会はローマ・カトリック教会[15]の信者数の4~5倍である。キーウ系と独立系の正教会は2018年に合体している。ローマ・カトリック教会や宗教改革以降の伝統的なプロテスタント教会の礼典と,正教会やアラブ・オーソドックスは大きく異なる。重厚な教会建築が与える印象はよく似ているが,礼拝出席者の姿勢が異なる。正教会は1時間も2時間も老若男女は立ったままである。6月3日に出席した千人以上でのキーウの礼拝もずっと立ち続けであった。ハンディキャップの方は腰掛けている姿は見かけたが,基本的に幼い子どもたちも親の隣でじっとたちずめである。落ち着きのない子どもも慣れている。伝統的習慣がわんぱくな子どもをそうさせているのだろう。日本の短い礼典と大きく異なる。日本のプロテスタント教会ならば,牧師の説教が15分以上になると,聴衆が長く感じるのとでは,大違いである。とりわけ正教会の出席者数の多さには驚く。インターネットが発達しているから,子どもたちは家庭でも礼典できるのではと,キーウの聖ウラジーミル大聖堂[16]で隣りの信者に尋ねた時,「ニェッ」(No)と答えた。毎日,朝に夕に集う礼拝プログラムは重厚であり,敬虔さ,「聖性」を感じさせる。教会建築, 会堂の後ろ側に2階建ての高さもあるパイプオルガンの奏楽,出席者は,美しい讃美の前にひざまずいている。キーウ市だけでも教会は,800あると聞いた。
参列したキーウの聖ウラジーミル大聖堂 2022年6月5日 下の全景も岩村撮影。
帰途,ポーランド国クラクフ市で,正教会ではないローマ・カトリック教会にも出席した。ウクライナ,ポーランドでは,一日に数回の典礼があるからはしごをするように参列できる。ローマ・カトリック教会の司祭説教も1時間は普通である。
ペレストロイカ[17]以降,ロシア,ウクライナ,ベラルーシ,カザフスタンの正教会の霊性は,共産主義思想に代わる価値観になったと,思わせられる。その転換が理解できないと,西側諸国にウクライナが決して合流できない定めが呑み込めないだろう。正教会の霊性はローマ・カトリック教会の霊性とは根本的に異なる。それだからこそ,筆者はロシア軍が同じ正教会,それも兄弟宗教を土足で踏みにじったことが腑に落ちなかった。教皇というヒエラルキーをもつローマ・カトリック教会に対して,正教会は国ごとにそれぞれの地方の守護聖人に礼拝がなされている。神道の氏子が氏神になっていると考えればいいだろう。祈りは「ヘシュカズム」[18]というヨガのような修行をするのを培われている。イスラーム教徒が日に5回祈るように正教会も子どもの時から十字を切って祈る[19]。彼らの信仰が敬虔な根拠は,20世紀になり,迫害[20]の嵐[21]の中で精練されていったからである。人々は幼い時から祖父母,両親たちの敬虔さの模範を見て育ってきた。正教会のリタージー[22]が空気のような存在になっていただろうに。信者は,「告解」[23]において,他の信者たちの見える場所で,一枚の小さな布の覆いをかぶって,己が罪を司祭だけに聞こえるように懺悔し,イコン[24]に包まれながら祈ってもらう。そうした正教会の精神,様式,世界観は,一時的にウクライナがNATO側に寄り添っても,デリートできるものではない。ローマ・カトリック教会はイコンを偶像として礼拝には用いない。しかし,西側諸国,とりわけ日本のメディアの多くはウクライナがNATO側になればよいと願っている。宗教オンチなのだ。
1930年代まで,自国の無神論者,また第二次世界大戦の時,ドイツのナチスによって教会堂が壊滅されてきた。再び宗教は不死鳥のように再建されてきた。暴力的な侵略も住民の信仰を消し去ることができない強さを見た。そうした内面になんら影響を与えなかった外的な事象について村人たちが語るのを現場で耳にした[25]。
ブチャの住宅
2022年6月3日
2月27日,人口約1000人のブチャ市モティジン村(Motyzhyn)にロシア軍の車両100台以上が一斉に侵入した。3月23日,危険が迫っているとして,オリガ・スヘンコ(Olga Sukhenko)村長(50歳)は村民のクラチさんに妻と子どもを連れて退避するよう促した。村長は村に家族と残ると告げたので,当初,クラチさんも村を離れることを拒んだ。しかし,村長はクラチさんの車にエンジンをかけ,家族を連れて避難するように迫った。その数分後の正午頃,しらみつぶしに村民の主だった者を捜索するロシア軍が村長宅に侵入した。兵士らは村長の
息子サッカークラブ「シーガル」所属の元選手オレクサンダルさんのシルバー色のセダン車の側面に「V」の字をペンキで描いた。まるで牧場の所有する牛などに焼き印を押すかのように,所有権はロシア側にあるぞという証明を残していた。
ロシア軍はあらかじめ,協力をとりつける有力者たちのリストをもって戸別訪問した。村長,夫,息子は,侵攻したロシア軍に対して協力を拒否したゆえに,殺された。4月2日,他に,森で,家族らと他の約30人の拷問を受けたウクライナ市民の遺体が発見された。
したがって,筆者の推理は間違っていたのだろうか。ウクライナ側がロシア軍の侵入を防ぐために,ブチャを破壊した結果,被害者が出たと思い込んでいた。しかし,ブチャの惨劇は,ウクライナ側の自作自演ではないと村民たちから聞いた。
「ナワリヌイ死亡」という報道が世界に流れた。ドイツの記者が現地ブチャで得た情報であった[26]。ナワリヌイ[27]は,書籍で日本人にも知られた反プーチンのロシアの弁護士,政治活動家である[28]。ナワリヌイの父親は,チェルノブイリ原発から半径30キロの立ち入り制限区域となっている村の出身である。だからキーウ北部のブチャにも同姓がいたりする。実際のところ,ブチャ村民のイリヤ・ナワリヌイ Ilya Navalnyさん(60歳)がたばこを吸うため家から出た不注意によって狙撃されてしまった。
後ろ手にしばられ,後頭部を撃ち抜かれた遺体
ウクライナ料理店
ブチャの街並み 6月3日撮影
近郊の市から首都キーウ市に入るには,3本の橋を渡らなければならない。いずれもロシア軍に爆破され,多くの現地の被害の画像を世界のメディアは取り上げた。しかし,現地の住民,ウクライナの郷土軍人,市民のだれもロシア軍による攻撃という人にはお目にかかれなかった。筆者佐々木美和は,キーウ特別市内を歩いていた男性(冷静に橋の爆発など語ってくれた男性)から話を聞いたときも,「キーウさえ守れればよかったから,ブチャが犠牲になったという見方もある」と述べていた。つまりロシアの侵入を防ぐために,ウクライナ軍が破壊したことが事実ならば,後世の歴史が証明するかもしれない。
b. イルピン―首都を守るための爆破?
ロシア軍の進撃を遅らせるため,首都キーウの西側に架かる他の橋はウクライナ軍によって全て爆破されたという筋書の方に説得力があるだろう。情報が一致しておらず,錯綜している。聞く人によって異なるからだ。たとえばブチャのナワリヌイさんは海外の新聞では,反プーチンの急先鋒のいとこと紹介されたこともある。また,ナワリヌイの近親者がいるからブチャが攻撃されたとか,いろいろな説が国外に行き渡っていた。新聞に載るブチャの死者数も,2ヵ月も経っていないにもかかわらず,280人,410人[29],ブチャのアナトリー・フェドルク Anatoliy Fedoruk市長によると600人と異なる。戦時下の情報と言えば,南京大虐殺[1937年12月]の犠牲者数もいまだに論争となっていることからも,真実を確認することはたいへんむずかしいという教訓が生きている。
町に沿って流れる川に架かる「最後の橋」の先には,緑豊かな夏の別荘地として知られていた。「最後の橋」は大統領府があるキエフ中心部まで約22キロほどである。ウクライナ軍がイルピン川の橋を落としてロシアのキーウ侵攻を防いだのか,あいまいにされている。
郷土軍人であるルスアンさんに寸断された橋に案内してもらった。イルピン市長のオレクサンドル・マルクシンとゼレンスキー大統領は,記念館を設立する地点について合意した場所をルスアンさんに指さしてもらった。
イルピン Irpin 爆破された橋 2022年6月3日撮影。
ロシア軍は非道で無差別に住民を殺害,拷問,レイプをしたと日本のマスコミに取り上げられた。イルピンで会ったターニャ・アレクサンドラさん(38歳)[30]は,カリナ・エルショワさんKarina Yershova(23歳)がレイプされた出来事も証言する。ターニャさんによると,若いウクライナ人女性をレイプしたのは,ロシア軍の中でも,チェチェン人の傭兵であったと,言う。ロシア軍にはキルギス人,シリア人など外国からの傭兵が多い。傍若無人に村民を虐殺するのは,傭兵だということも岩村に聞かされた。ターニャさんは,数十センチの差で夫と自分の命が「カラシニコフ」の銃弾から逃れた。しかし,真隣にいた女性がその銃弾に撃たれた。頭部がぱっくりと割れ,「オープン」だったと,状態を佐々木に英語で説明する際,口元は緩みながらも声は震えていた。
ターニャ・アレクサンドラさんの証言を聞く。
わずか3ヶ月間で,ロシア軍の死傷者数は,旧ソ連が9年間のアフガニスタン侵攻で出した死者数1万5千人を超えているとメディアは報告している[31]。だが,傭兵の割合はあまり知らされていない。ポーランドのワルシャワから長距離バスでキーウに入った際,ウクライナ軍に加勢するために,イスラエル人が2名も乗っていた。また,キーウでも,ウクライナ兵の服装をしたアメリカなまりで,高級なレストランで食事をしている外国からの4人の志願兵たちがいた。つまり外国人部隊たちが両方の陣営に加わっているのだ。だから,厳密には,この戦闘はロシアとウクライナの二項対立とは言えまい。地政学的には世界が参与し,からんでいる戦争であることはまちがいでない。
c.権力者(エクレーシア) の台頭による新たな勢力図絵
ロシア国防省は,ロシア軍は「3月30日にはブチャから完全に撤退した」として,責任を否定した。ロシア大統領府も,ブチャの写真や動画は一貫してウクライナ側の「でっち上げ」だとしている。ロシアのワシリー・ネベンジャ(Vassily Nebenzia)国連大使も4月4日,国連安全保障理事会(UN Security Council)において,ブチャで撮影された遺体について,ロシア軍撤退前にはなかった,と記者団に述べた。しかし,3月19日と21日に撮影されたマクサー(Maxar Technologies社)の衛星画像[32]では,ブチャのヤブロンスカ通りに複数の遺体が確認できる。6月3日に,ブチャを訪問して,村人の証言を聞くと,明らかな虚偽である。戦争に大義はないとはいえ,なぜそんな見え透いたウソをロシアはつくのか。
民主主義対帝国主義,共産主義対自由主義,国連常任理事国対非常任理事国の対立概念では判断できない新しい確執があろう。6月2日,キーウの東側で爆発があった。死者はなかった。その時,人々はドニエプル川の東と言った。ドニエプル川はロシア語である。ウクライナ語ドニプロー川とはだれも言わなかった。ロシア語起源のキエフ(Kiev)をウクライナ語のキーウ(Kyiv)に表記を変更してきた。しかし,ウクライナ語のウォロディミルよりロシア語のウラジーミルは定着している。私たちが礼拝出席した聖ウラジーミル大聖堂[33]も一例である。西側諸国,NATO[34]がどんなにウクライナの後押しをしても,ウクライナの命運は予断を許さない。というのも,ロシアのウラジーミル・プーチン[1952-]大統領の強圧だけではないと考察できるからだ。プーチンの歴史的,政治的,高圧な手腕のみならず,ロシア全土に影響力のある別の権力者(エクスーシア)[35]がいるからである。
キーウをはじめ風土,生活形態に触れた。日本のサムライに一脈通じる実直な不器用さがある。ウクライナ人の宗教観,歴史,コサック魂を知るにつれて,外観は西洋風であるが,本質が違うように思える。NATO側とウクライナは水と油のような異なる宗教感性[36]があることを見過ごしてはならない。
歴史を振り返って,ウクライナ国土は常に蹂躙されてきた系譜がある。
米ソの冷戦構造が終わっても,エクスーシアには政治面と宗教面の両翼体制があることを黙殺するわけにはいかない。プーチンは政治的にかつてのレジーム[37]を再開することを宣言しはじめた。政治家の大胆なヴィジョンの是認,協力,精神的支柱となるモスクワ総主教キリル1世[1946-][38]の存在はあなどれない。プーチンは2020年に憲法を改正した。ロシア連邦の新憲法では,「千年の歴史によって団結し,我々に理想および神への信仰,ならびにロシア国家発展の継続性を授けた祖先の記憶を保持するロシア連邦は,歴史的に形成された国家の統一を認める」,と書かれている。「ルースキーミール(ロシアの世界)」 「世界でロシア語を話す人やロシア正教を信じる人の連帯」 「ルーシの洗礼」を通して,神が「聖なるルーシ」を築く目的のためにルーシ人をささげたことを強調する,試練[39]を通して築き上げられた「霊的な概念」を追究している。キリルモスクワ総主教はキエフ(キーウ)を『全てのロシアの都市の母』と呼ぶ。我々にとってキエフは多くの人々にとってのエルサレムである。ロシア正教はそこで始まった,と主張。つまりたとえプーチンと路線が異なる後継者がロシアの大統領になったとしても体制は変わらない。「神への信仰」という精神的支柱の馬にまたがって,民の指揮をとることができればいいのだ。1918年のソ連邦の革命政権は,宗教はアヘン[40]だと,正教会の聖職者たちをシベリアの強制労働に送り込んだ。教会も徹底的に破壊された。ペレストロイカ以降,息をひそめていた正教会が復興したのは,典礼,「ヘシュカズム」,および聖性にあると,筆者は考える。リバイバル運動の伝道活動に基づくのでない。
見逃してはならない動きがある。20世紀後半から21世紀前半にかけての新たな政治・宗教の合体である。超大国に共通しているのは政教分離ではない。むしろ政教一体化である。西側の雄であるアメリカ合衆国も宗教と政治が強固に結びついてきた。ニクソン[1913-1994],レーガン[1911- 2004]の大統領の就任式には祈祷を担当したビリー・グラハム[41]がいる。米国の福音派の教皇的存在である。ベトナム戦争,湾岸戦争,アフガニスタン,イラン,イラク戦争への介入に影響力をもった。一貫した反共の立場である。ロシアの正教会のキリルモスクワ総主教も善悪闘争において,西側のLGBTQに対して容赦しない思想について一貫している。
ロシア語も話すウクライナのジトームィルのヴィクトールさん(65歳)は,語った。「自らをロシア人とみなすかウクライナ人とみなすか,が決定的ではない。どちらの国籍かではなく,どちらを支持するかは,時,場所,選択に依存している」,と。彼の言葉からも,同じ民族,同じ正教会なのに,血を流すのは馬鹿げているという発言は考えさせられる。ましてや,よその国が,「人権」,「正義」,「民主主義」という世界観を押しつけるのは,戦局を一層複雑にするだけだと,気づかされる。
(3) 孤児支縁
a. だれが世話をするのか
人道支援のため,孤児を探すために,出会う人々との会話はロシア軍の村の占拠の記憶を抜きにはできない。子どもの親はなぜ殺されねばならなかったのか。ロシアにたいしてなにも悪いことをしていないのにひどい目にあった理不尽さをどう受け止めればいいのか。親を失った子はどう生き延びることができるのか,というコミュニケーションが原点になる。
英語はぜんぜんと言っていいぐらい通じない。ポーランドを経由してきたが,英語を話せる人が少なかった。「言葉」なしで思いを伝えるのは,アフリカ,南太平洋,アジアの貧しい地域で体験してきた。
ウクライナの人々は花をこよなく愛する。街角のいたる所に露店で花を売っている。大輪のバラ,色とりどりのガーベラ,ローズマリー,シンピジュームなどの生花である。食品より若干高値だが,部屋などに生けている。公園も多く,樹齢が何百年という。ベンチで生活している路上生活者もいる。
キーウの最も「小さくされた人々」に寄り添う。
独居の高齢女性,公園のベンチで野宿している。
キーウに入った初日から孤児に出会うために,歩く。坂が多いから1時間もすると汗ばむ。石畳なので,車などはスリップをしない。キックスクーターに乗っている若者は多かった。上りの坂道で,見かけると,低料金の貸出があるからつい活用したくなったが,機会を逸した。
何時間も歩きずめである。
「カヨコ・チルドレン・ホーム」に所属する5人ほどの孤児が共同で大人になるまで生活する。日本の里親から毎月3千円ずつ送金される。
孤児は日本からのボランティアを信用して,付いてくるだろうか,と毎回,挑戦を受ける。同時に孤児たちを世話する人も捜す。現地に知り合いもない。役所の社会福祉協議会(社協)のような施設に行けば,孤児たちにすぐに会えるし,神戸国際支縁機構が献金さえすれば,日本からの務めは完了する。さらに,私たちはアメリカなど潤沢な資金を持つボランティア団体でもない。お金はない。現地に知人はいない。言葉もできない。ないないずくめである。しかし,アジア,オセアニア,アフリカなど10ヶ所に「カヨコ・チルドレン・ホーム」がある。すべてゼロから起こし,現地の人たちに助けられている。土地の交渉も毎回一苦労である。何がその動機になっているか。
聖書に,「……互いに慈しみ,憐れみ合え。寡婦,孤児,寄留者 貧しい者を虐げてはならない。互いに悪を心にたくらんではならない」,とある[42]。戦争,新自由主義の格差,親の離婚などによる子どもが虐げられることがないように,その一事である。
パンを請うジェニー(22歳)。
街角で,食事や,戦争募金を請う子ども,青年たちに近づき,親がいるかどうか尋ねる。
b. 孤児との出会い
3日間はただただ歩く。不思議なことに,思いがけない出会いがある。孤児たちのために,何かできることがないか,日頃から考えていたウクライナ人たちに引き合わされる。
戦争から避難していた孤児たちもキーウに戻って来ている。長距離バス停。
独りで遊ぶが,寂しいアンナ
地方では,おばさん,おじさん,祖父母が世話をしてくれる。面倒を見てくれる親戚がいないと,都会に出て来ざるを得ない。いわゆるストリートチルドレンである。
c. 孤児を世話する責任者との邂逅
孤児は見つかったものの,5人ほどが「カヨコ・チルドレン・ホーム」で共同生活を行ない,着替え,食事,学校などの世話をする方を見つけるのは容易ではない。さいわいにして,オスクナさん(34歳)は,孤児を世話した経験がある。ボランティア精神のある独身女性であり,「カヨコ・チルドレン・ホーム」に協力してくださる。6月6日に打ち合わせをし,日本と緊密な連絡を取り合うことになった。
オクスナ・セネカさんと4日ぶりに再会。
「カヨ子基金」の働きに共鳴されたキーウ国立大学のNational Taras Shevchenko University of Kyivレオニド・ブラヴィン名誉教授は,大学とご自宅に招いてくださった。次回,ウクライナ訪問の際,建設場所など相談に乗ってくださることになった。ウクライナ国で,著書も多く,分子物理学部長である。先端が球状になった鎚(つち)矛(ほこ)の一種であるブラヴァー[43]を持った。鎧を着た敵にはどんな刀剣よりも破壊力を発揮するそうな。ここでもコサック魂にふれた。
レオニド教授はハンディキャップの子どもがいる。佐々木美和が駅の待合室で柔和に接したら,彼の息子はすっかり佐々木を気に入った。そのことがきっかけで,家族的な関係を築くことができた。
一期一会から,継続的な対話性ができた。
英語教師のアリョーナさんも孤児の世話に関心があり,親切に相談にのってくださった。
メドウェドイエヴァ・アリョーナさん。20222年6月7日。
キーウ市は高低があるため,眺めはよい。高齢者のために,便利な市電,バス,地下鉄が網羅されている。アリョーナさんは電車代を寄附してくださり,恐縮した。
プラットフォームまでが長い。
戦時下であった第1次ウクライナ・ボランティアが多くのウクライナ人に共感を与えたことは,大きな慰めになった。なぜなら当初の予定,兵庫県庁の国際課や,神戸市役所の梅澤章氏が骨を折ってくださったゼレンスキー大統領宛ての親書を手渡す計画が実現しなかったからである。ウクライナ東部訪問で流れてしまった。同様に,ロシア政府から狙われている要人ビタリ・クリチコ市長からは知事と市長に親書をいただけることになったことは感謝である。予定外の副産物になった。
聖ウラジーミル大聖堂で,懇意になったクシニール・アレキサンダー&ジュリアご夫婦も孤児支縁の活動を呼びかけてくださる関係性も生まれたことは,日本で道中の無事安全を祈ってくれていた方々のご好意だと申しあげたい。
<結論>
帰途,ポーランド国を経由した。キーウからバスでクラクフという二番目に大きな古都を訪問した。そこには,滞在12年の音楽家フィレック翔子さんが住んでいる。友納靖史牧師のご紹介である。クラクフにはアウシュビッツがある。とても一日では回りきれない。ユダヤ人などをガス室で処刑した場所に向かった。まともに直視できない凄惨な収容記念館である。ヨーロッパ各国からのたくさんの高校生たちが学校単位で来ていた。自分も高校生時代に広島原爆記念館,南京大虐殺[1937年12月]の歴史博物館などを訪問したことを振り返って,スロバキア,リトアニア,イスラエルの10代の時に置き換えて自問した。アウシュビッツに来ている高校生たちは,人間はここまで残酷になれるものか,打ちのめされている印象である。黙りこくっている。入口を入る前は,にぎやかだったにもかかわらず,落ち込んでいる。私も広島で同じような反応だった。しかし,20歳を超えたとき,「ノー・モア・ヒロシマ」を忘却して,絶対平和主義ではなく,優先的平和主義に変わっていた。
つまり人間はうつろいやすい。どんなに,不戦の誓いを立てていても,近隣諸国からの脅威を耳にすると,絶対平和主義が揺らいだ変化を思い出した。権力(エクスーシア)の座に就くと,理想を捨て,利権に身をこがし,かつて格差の矛盾に義憤があったことも忘れ,抑圧する側に変わってしまう。今回,ウクライナ訪問し,コサックの精神はどこまで維持できるか,と黙想しながら,坂道を上ったり降りたりした。ボランティア道を極めるとは,自分の魂を富,権力,名誉心に明け渡さないことと言い聞かせる旅であった。寒暑の激しさ,空腹,長い道中にひとことも不平を言わず,同行された「カヨ子基金」の佐々木美和代表の根性に敬意を表したい。ウクライナ人の縁とは妙なものである。ロラさん,ヴィクトールさんと同じポーランド航空で,欧州からずっと日本の神戸に同行した。
成田空港からの送迎に時間を贖いとった村上裕隆代表,野田健二兄にも感謝したい。
[1] EU(欧州連合)27カ国に,英国,リヒテンシュタイン,アイスランド,ノルウェーを加えたEEAの31カ国では,旅行者や,ヨーロッパ在住の日本人や外国人は,Yahooを通じて,アクセスできなくなっている。ウクライナ訪問中の6月8日,EU消費者4億5万人)は充電端子「USB-C」に統一を発表。米国製のアップルなどと一線を画する時代に入ろうとしている。
[2] ポーランド出身のローマ教皇。「空飛ぶ教皇」と呼ばれた。イラク戦争には最後まで反対の姿勢を貫き,ブッシュ大統領を痛烈に批判。
[3] 『NHK』(2022年5月7日午後6時半)。
[4] 佐々木美和日記。<以後 美和記>。
[5] 6月12日,ワルシャワの空港で出会ったジトーミル出身の女性。戦禍の恐れから,兄のヴィクトールさん(65歳)と共に,神戸在住の娘を頼り日本に渡航していた。
[6] ジェシェック・ヘッジホッグとは,「チェコの針鼠」(チェコ語「はりねずみ」) 第二次世界大戦頃に開発。戦車が侵入するのを封鎖する鉄(てっ)塊(かい)。
[7] 2014年に市長に当選。以降8年間,大統領のゼレンスキーと並ぶ「反ロシア」「親EU」の代表的政治家。通算12度の世界王座
防衛『史上初兄弟同時世界ヘビー級王者』という偉業を成し遂げている。ボクシング界で知らない人はいない」。タイの国技ムエタイ(タイ式ボクシング)を日本風にアレンジして創設したキックボクシングの世界に,17歳でキックボクシング界にデビューした。
[8] 15世紀後半以降,ドニエプル川の中下流域の広域におけて存在した軍事的共同体。「コサック」という言葉は「群(社会)を離れた
者」(トルコ語)。もしくは「自由な人」(チュルク語)。お会いしたウクライナ人は自分たちはコサックの子孫だと胸を張った。
[9] ボリシコも家族から引き離され,生き延びた。終戦前後で,ボリシコはソ連当局に逮捕され強制収容。1954年に恩赦を認められて
出獄したが,1960年にユジノサハリンスク(豊原)で肺炎のため亡くなった。
[10] “「ブチャの虐殺を犯したのはウクライナ軍」スペイン『エディトリアルオフィス』(2022年4月26日付)。戦争の最初の日から,ウクライナの大砲はヴォクザリナヤ通りのロシアの列に大砲を発射した。ウクライナはブチャで殺された民間人の数をほぼ900人に増やし,国連は50人と話している。”
[11] 神戸新聞会館聖書のことばシリーズ第94回拙論「ウクライナ戦争は人類の行く手を阻むのか」(2022年4月25日)。「ウクライナ
平和宣言」共同コミュニケ。
[12] ロシア国防省は,ロシア軍は「3月30日にはブチャから完全に撤退した」として,責任を否定。ロシア大統領府も,ブチャの写真や動画はウクライナ側の「でっち上げ」だとしていた。日本のSNSなどで,「被害はウクライナの自作自演」という情報が流れていた。『読売新聞』(2022年04月15日付)。
[13] 出典 ウィキペディア。ブチャ市はキーウ州に属する。この報告集もキーウという場合,キーウ「特別市内」のことである。
[14] 正教では教会に入る時,一礼をして,十字を切って入る。ローマ・カトリック教会のように聖水はない。
[15] ウクライナのカトリックは東方典礼カトリックが圧倒的多数派である。
[16] ビザンチン建築であり,豪華絢爛なフレスコ画,美しい讃美,妙なる鐘の音,かぐわしい香りに包まれる。
[17] 「再構築(再革命)」 1980年代後半からソビエト連邦でゴルバチョフによってグラスノスチと共に1991年の守旧派によるクーデター発生までに進められた政治体制の改革。
[18] 「静寂」を意味するギリシア語h`su,cia ヘェィスキアhesychiaに由来する造語,通常「静寂主義」。14世紀ごろから東方正教修道霊性の中心地,聖山アトスで実践され始め,ビザンツ全土そしてスラヴの正教修道地域に普及した祈りと観想の方法を表現するのに用いられる用語。
[19] 正教会では教会に入る時,また礼典の際,何度も右から左へと十字を切る。ローマ・カトリック教会と逆である。
[20] 1920年までに,670のロシヤ正教修道院が閉鎖に追い込まれた。『レーニンの秘密・下』(ドミートリー ヴォルコゴーノフ 白須英子訳 日本放送出版協会 1995年 207頁),『わが生涯』下巻(レオン・トロツキー 栗田勇訳 現代思潮社 1966年 854頁),『聖地ソロフキの悲劇-ラーゲリの知られざる歴史をたどる』(内田義雄 日本放送出版協会 2001年 43頁)。
[21] 国外退去を命じられた作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン[1918-2008]の書籍に詳述されている。子供の宗教教育は1920年代
には第58条10項によって政治的犯罪,すなわち,反革命的煽動と見なされるようになった。宗教者は全員,当時最高の刑期だった10年を申し渡された。共産主義者は「教会財産没収,聖職者銃殺指令」「強制収容所送りと銃殺,拷問死による聖職者・信者根絶路線」をソ連邦全土で繰り広げた。
[22] 典礼 ギリシャ語「礼拝」はleitourgw/レイトゥールギオー leitourgeo。ラテン語を経て英語で,liturgy(リタージー)。
[23] サクラメント(秘蹟)のひとつ。宗教改革者マルティン・ルター[1483-1546]も,洗礼,聖餐式,および告解を認めていた。
[24] イコンは「窓」に過ぎず,天上の本質を観想する手段である。イコンを礼拝することは,物質である偶像を崇拝する行為とは異なる。
[25] ウクライナ正教会・キーウ総主教庁である聖ウラジーミル大聖堂で親しくなった信者たち,ボランティアから教えてもらった。内部
は柱や壁一面がアール・ヌーヴォー調のフレスコ画で覆い尽くされている。正面が「聖母マリアと幼子キリスト」。奥には「最後の審判」。
[26] 『ビルト』紙(2022年4月17日付)。
[27] アレクセイ・ナワリヌイは3月2日,インスタグラムに政権批判を投稿。ロシア軍のウクライナ侵攻に抗議する反戦デモを毎日,各
都市の中心部で行うようロシア国民に呼びかけた。プーチン大統領を「われわれの狂った皇帝」と批判。プーチンはナワリヌイという名を口にしないほど忌み嫌っていた。ナワリヌイは2020年8月に軍用神経剤ノビチョクで葬られそうにもなった。
[28] アレクセイ・ナワリヌイ[1976-]「ウラジーミル・プーチンが最も恐れる男」(『ウォール・ストリート・ジャーナル誌』2012年7月18日)。
[29] ウクライナ当局発表。
[30] 『毎日新聞』(2022年4月14日付)。
[31] 『朝日新聞』(2022年5月23日付)。
[32] WorldViewシリーズを擁するMaxar Technologies社(旧DigitalGlobe社)の高解像度衛星4機によるコンステレーション。地上
のあらゆるものを高頻度,高精度に撮影可能。
[33] 4ページの画像参照。ウクライナ正教会・キーウ総主教庁の内部は柱や壁一面がアール・ヌーヴォー調のフレスコ画で覆い尽く
されている。正面が「聖母マリアと幼子キリスト」。奥には「最後の審判」などの装飾が来会者を圧倒する。
[34] 北大西洋条約機構(NATO:North Atlantic Treaty Organization) 「集団防衛」,「危機管理」及び「協調的安全保障」の三つを核とする欧州および北米の 30 ヵ国による政治体制。
[35] ギリシャ語エクスーシアは「権威」,「権力者」の意である。拙論「宗教はコロナウイルス後の社会をどう目指すか」(2022年3月10日
WCRP平和大学講座 1-3頁)。http://kicc.sub.jp/category/argument/
[36] 偽ドミトリー1世[1582-1606]は,1606年5月8日,ローマ・カトリック教会のマリナ・ムニシュフヴナと結婚。即位後にローマ・カトリック教会に改宗。ロシア正教会,大貴族や民衆の烈しい反発をした。5月17日の朝,殺され,焼却。「歴史は繰り返す」だろう。
[37] Regim 体制,政治体制のこと。
[38] 2009年11月3日,モスクワ総主教キリル1世はロシア世界を「東方正教会,ロシア文化,そして特に言語と共通の歴史的記憶
という3つの柱で見出され,さらなる社会的発展に関する共通の理想像と結び付いている共通の文明空間」と定義。
[39] 国家と教会との同盟は,聖化によって成就。教会組織は商品的農産物の奴隷労働,高利貸し的な活動,教会の土地を基盤に
中央権力の中枢に位置している。『ロシア教会史』(N・M・ニコリスキー 宮本延治訳 恒文社 1990年 105頁)。
[40] 唯物論者にとり,「宗教とは,追いつめられた生き物の溜め息であり,心なき世界における心情,精神なき状態の精神なのである。
宗教こそは民衆の阿片である」(『ヘーゲル法哲学批判 序説』(カール・マルクス 真下信一訳 国民文庫 1972年)。
[41] 「福音伝道者ビリー・グラハムの政治性研究」(『クリスチャン新聞』(2022年5月22日付) 評者 村田充八。
[42] ゼカリヤ書 7:9,10。
[43] ボフダン・フメリニツキー[1595-1657] ウクライナ・コサックの指導者がブラヴァー(先端が球状になった鎚矛) を手にしている像がソフィア広場にある。紙幣5グリヴナの肖像にもなっているウクライナ最大の英雄。フメリニツキーの戦争に参戦した聖職者は「血を流すことを禁じる」という戒律のため,刀剣ではない血を流さないメイス(鈍器)を用いた。
ウクライナ 戦禍逃げられない孤児,戦争未亡人,高齢者 救援金
『神戸新聞』「ウクライナに孤児の家を」(2022年4月18日)

『神戸新聞NEXT』記事(シリアの孤児の家写真あり)
2022/4/15 20:15 『神戸新聞NEXT』
2022/4/15 20:15神戸新聞NEXT
ウクライナに孤児養護の施設を建設へ 神戸の団体が建設、運営費の寄付募る




ロシアの軍事侵攻を受けているウクライナに、孤児たちが集団で暮らせる養護施設を整備しようと、神戸市垂水区の一般社団法人「神戸国際支縁機構」が建設・運営費の寄付を募っている。紛争地の人々に手を差し伸べるのは困難を極めるが、理事長の岩村義雄さん(73)は「大海にパンを投じるような行いであっても、できる限りの支援をしていく」と迷いなく語る。
同機構は牧師の岩村さんが2001年に立ち上げ、米同時多発テロ以降、世界各地で難民支援や被災地ボランティアに取り組んできた。大規模な災害や紛争のたびに基金を立ち上げ、16年からはガーナやネパールなど10カ国以上に孤児の養護施設を建設している。
建設費は1棟当たり約100万円で、5、6人が生活する。入居後も1人につき毎月3千円の教育支援金を送っているという。
ウクライナについては今年2月、ロシアが軍事侵攻を始めた翌日に基金を設立。4月6日時点で、既に建設費を上回る約140万円が寄せられた。現地の情勢を見極めて、施設整備に向けて動き出す予定だ。
◇
だが紛争が長期化すれば、建設も運営も一筋縄にはいかない。
18年5月、内戦が続くシリア第2の都市アレッポに養護施設を建てた。イスラエルの爆撃で壊された幼稚園跡に整備し、3~11歳の5人が入居した。
ところが、その後も市街地で銃撃戦が続き、昼間に爆発が起きるたび、青い空が灰色に染まった。世話役のボランティアはわずか4カ月で首都ダマスカスへの避難を余儀なくされ、孤児たちは散り散りに。コロナ禍もあり、施設再開のめどは立っていない。
◇
困難を伴う紛争地での支援を継続させるには-。同法人で孤児支援の基金を担当する佐々木美和さん(30)は「現地の草の根の協力者とつながり続ける」ことが欠かせないと語る。
今回は首都キーウ(キエフ)から西に約350キロ離れたルーツィクでの開設を軸に検討している。佐々木さんが、日本に避難してきたルーツィク出身の20歳の女性と知り合ったからだ。
女性は大学で応用言語学、特に日本語と英語を熱心に学んでいた。3月中旬、隣国のポーランドから来日。現在は九州で、ウクライナ語を教えながら過ごす。同法人では施設の整備や運営に、女性の人脈を生かしてもらう考えだ。
キーウ近郊で多数の民間人の殺害が明らかになるなど、市民の命と暮らしは日々、脅威にさらされ続けている。女性は両親をルーツィクに残し、「今はまるで日本とウクライナの二つの世界を持っているよう」と、不安な心境を佐々木さんに明かしたという。
同法人は基金を少なくとも今年いっぱい募り、施設の建設費を上回る分は在日ウクライナ人たちの協力を得て現地に直接送金する方針。夫を亡くした女性や独居の高齢者、障害がある人たちに役立ててもらう予定という。佐々木さんTEL080・4267・4820
(井上太郎)
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中外日報(202年3月2日)

ネパール大地震,シリア紛争地帯,南スーダンなど,神戸国際支縁機構は救援金をどこにすべきか苦慮してきた。基本的には,孤児,夫をなくした独身女性,高齢の独居者たちに直接,届くように,その都度,決定してきた。2月25日(土),海外部門「カヨ子基金」は,最終的に,プーチンに対する抗議文は直接,ロシア国家に,救援金は,圧倒的に多くの民が集っているウクライナ正教会を経由して送金することを決めた。ただし孤児,夫をなくした独身女性,高齢の独居者たちに直接届くことをつねに最優先に目指す。
救援金については,下記のチラシを参照されたし。
■振り込み先 郵便口座 14340-96549731 加入者名 カヨ子基金
他行口座から⇒ 店名四三八 店番438 普通預金 口座番号9654973
書き込める方はウクライナと記してください。
■ゆうちょ以外からのお振込 店名四三八 店番438 普通預金 口座番号9654973 受取人名 「カヨ子基金」。

『神戸新聞』「ウクライナ戦時下の孤児たちへ救援金を」(2022年2月27日)

『神戸新聞』(2022年2月27日)。
『クリスチャントゥデイ』(2022年2月28日)

『クリスチャントゥデイ』(2022年2月28日)
ウクライナ 戦禍逃げられない孤児,戦争未亡人,高齢者 救援金
振り込み先 郵便口座 14340-96549731 加入者名 カヨ子基金
他行口座から⇒ 店名四三八 店番438 普通預金 口座番号9654973
書き込める方はウクライナと記してください。
「カヨ子基金」は助成を得ることをせず,みなさまからのご支縁によって,交通費,宿泊費などすべてまかなっています。救援金は全額,現地へお届けします。
目標額 100万円(100万円以上集まっても,全額,現地のために用いられます。たとえば孤児の家の複数建設,また建築費以外にも現地への救援金として用いられます。)
since 2022年2月25日以降
現在 3,780,703円 ほか+20ドル
佐々木美和,神戸国際キリスト教会,
岩村義雄,有田貞一 & 美榮子 (2),村上安世 (3),
(有)本田商会 (2),大島健二郎,辻良雄 (2)
三木晴雄,牧野健吾,赤井麻貴子,森雅樹,
アン WON,櫻井由里子,西上千栄子 (3),
福地弥寿子,矢野寛子,沖浦宏隆 (2),
石川博一,白方誠彌,高橋宏和
鳥飼トモ子,(財)宗教者平和会議日本委員会
ホームチャペルキリストの花嫁,
特定非営利活動法人 安房文化遺産フォーラム,
廣瀬素子,万年 禮,河合 篤,朝日泰治&華子,
岩本眞子(福岡県朝倉市杷木),織田澤治代,
横原一郎&三枝子,有田貞一 & 美栄子(2),
阿部和夫 & 斉子(宮城県石巻市)(2),
谷 雅博,中山圭子,宮本博美,大河戸章代(2),
杣 浩二,鄭 恵姫(4),匿名,安西玲子,山本 京子
則政 幸夫&眞智子,濱名浩子,飯原洋子
本田大輔,橋本睦子,中條和子,池田裕子(2),
松田エツ子,上村由紀穗,河村ひとみ,
賀内覚太郎,兵頭晴喜,藤原りつ子,
緒方眞喜代,釈 徹宗,高橋優子,中山喜世子,
辻本久夫,貞松 融,石川隆教,田村真由美,
岸本 豊&多江子,'(有)本田商会,村田優美子 (2),宮坂信章,
今村佳代子(佐賀県大町町),豊﨑美代(千葉県布良),
小谷登志江(千葉県布良),愛沢伸雄(千葉県館山市),
櫻井由里子,宮氏道夫,岡田小百合,鄭 炳采,大西 孝,
伊東 鉄也(神戸少年の町 施設長),大西 孝,熊野千秋,
吉田 孝(福音伝道教団 本庄キリスト教会),徳留由美,
石井久雄 & 恵美子,新免 貢,廣森勝久,本田洋子,
モリユリ・ミュージック・ミニストリーズ,神納茂子,
土手 朋,鷹取教会有志,大野祐弥&信穂,
神戸聖福教会(泉眞姫社長),水谷弥生,
日本自由メソジスト葛城キリスト教会,藤丸秀浄,
玉の肌石鹸株式会社,石井万紀子,さかいようこ,
島田 徹,小島千鶴,名田洋子,大友秋彦,
兵庫県人事委員会 旧中基康,
日本バプテスト同盟 西岡本キリスト教会,
光嚴寺 千田豊穂,笠原美恵子,千葉幸一,白方誠彌,
匿名,庄司慈明(2),相浦恵子,菅原千春,
明石バプテスト・キリスト教会,秋田喜代子
大嶋善直,守屋香代子,山下妙子(2),島田信一&安子,
ナエダジュンイチロウ,塩川成子(2),竹内喜子,
坂井純人,平井一嘉,匿名,湯川ひろみ(湯川胃腸病院),
鳥岡正成(ウクライナ・サポート・チーム),
赤木達司(だいすき協同組合),樋口麻美,泉 とも子,
上野登志子,西堀 元(北神戸キリスト教会),森 啓子,
濱名浩子,松浦 ゆかり,匿名,苅部 眞砂子,若宮 紀章,
井本 敦幸,前川和弥・幸子,藤本保士,高橋昇二,森川正美,
大島健二郎(2),岸田まさと,武田喜久子,大槻紀夫,
羽柴修,田中順子,緒方 眞喜代(2),今井奈緒子,中川圭子,
池田裕子(3),濵名浩子(2),廣瀬素子(2),大槻紀夫,
鷹取教会有志(2),神戸ユニオンプロテスタント教会(KUC),
土田祐子
前川和弥 & 幸子(3),日野謙一,有田貞一(3),別所正博(2),大塚製薬工場,河内常男,宮本博美,千葉幸一(4)(宮城県石巻市),本田商会,鄭 恵姫,小笠原貞夫,矢野寛子, (有)本田商会,山本陽子,光厳寺,守屋香代子,島田徹,竹内喜子,大田正紀,李 政史,野崎和子,青木***,湯川紘未,上村由紀穂,春名純人,平井 一嘉,左成和朗,大蓮寺 秋田光彦,大島健二郎,沖浦宏隆(2)(千葉県館山市布良),伊東鉄也,濱岡京子,櫻井由里子,重元勝,森一郎,柴田珠江,泉晴代,河村ひとみ,栁澤 豊 & 香那子,堀内稔,伊藤直樹 & ヨシ子(茨城県日光市),佐藤紀子(宮城県多賀城市),本田寿久(2),緒方眞喜代(熊本県相良村),統一マダン,宗教法人東灘バプテスト教会 大槻紀夫,宗教法人 日本開拓伝道団 京都教会,辻本久夫,泉とも子,山村ちずえ,谷合公江,後藤由美子,杉山精一,芦名定道,廣瀬素子,重元 勝,田口秀明(千葉県館山市館山),金貴順,原 浩司,山口 元,山本陽子,清水孝紀,大島 修 & 敏子,坂井純人,日野謙一,嶋田博信 & 礼子(千葉県館山市布良),藤原りつ子,高島邦夫,小島千鶴,丹野恵子(宮城県石巻市),米澤澄子,永野由美子,日韓交流信徒大会西部地方会,星野尚子,
中山圭子
街頭募金(2024年2月24日)をありがとうございます。
2月24日,神戸在住のウクライナのかたと,集会を持ちました。歩行者の方たちより,現地への全額寄付として,「カヨ子基金」に7万7,033円のご寄付をいただきました。寒い中,温かいご支縁に,感謝申し上げます。
街頭募金(2023年8月24日)をありがとうございます。
8月24日,神戸在住のウクライナのかたと,集会を持ちました。歩行者の方たちより,現地への全額寄付として,「カヨ子基金」に2万1,606円と20ドルの寄付をいただきました。ありがとうございます。
街頭募金(2023年6月28日)ありがとうございます。
6月28日,神戸在住のウクライナのかたと,集会を持ちました。歩行者の方たちより,現地への全額寄付として,「カヨ子基金」に8万1,586円の寄付をいただきました。ありがとうございます。
街頭募金(2023年2月24日)ありがとうございます。
2月24日,神戸在住のウクライナのかた中心で,集会が持たれました。現地への全額寄付として,「カヨ子基金」に10万円の寄付をいただきました(街頭募金89,410円+献金10,590円=100,000円)。ありがとうございます。
2023年冬 発電機 救援金
・感謝申し上げます。指定献金のかたの名前を挙げています。
★UPDATE:第4回ウクライナ・ボランティアで第1台目を持ち込みました(2月18日)。
since 2023年2月8日以降
現在 210,000円
杣 浩二,朝倉 龍男,神戸ユニオンプロテスタント教会,
